「あ、言っときますけど個人情報はちゃんと守ってますからね。それに緊急事態中は面接できなかったから、定形文ですけど丁寧なお断りのメールを返してました」
いわゆる「貴殿のご活躍をお祈り申し上げます」というやつか。しかしそれは緊急事態宣言中のこと、現在は矢野さんの会社もこうして私と打ち合わせができるくらいには稼働している。面接も再開しているとのことで、その楽しい採用状況はどうなのか。
「それが先月(8月)くらいからドッと増えましてね、もう処理しきれないくらい。とくに総務希望なんか山のように履歴書が届くんです。技術職とかは技能条件高くしてるんでそうでもないんですけど。ま、事務系の正社員で募集しているところは少ないんでしょうね」
実際に金を生む技術職はあまり来ず事務系の応募者ばかり、しかしそれほど大きな会社でもないため事務方は足りているという。それでも矢野さんのお願いで一人採用していいということになっている。急ぎではないが、適任者がいたらという話で。そんなレベルの採用意欲なので若い矢野さんが実質一人で仕切っている。
「そんな一人を私が決めることになって気分は最高です。私がその一人を決めるんです。面接は午前中の一時間にしてるんですけど、私よりも年上の人が頭を下げて一生懸命アピールするんです。それも私の現役当時は縁もなかったような国立大学を出てたり、大手企業に勤めてた人もいます。彼らを圧迫面接してるとなんだか神になった気分になります」
なるほど、これが先の「神になった気がする」なのか。残念ながらこういう困った担当者は昔から存在する。応募者からすれば釈然としないだろうが、採用側の矢野さんは絶対者だ。
「子どもが何人もいて悲惨だなあとか、どんだけ転職してるんだよとか、ヘタなゲームより面白いですよ。”ずっと俺のターン”ですから気持ちいい。履歴書も先輩や他部署の連中と読んで盛り上がります」
ああ、正社員でよかった
履歴書のまわし読みや興味本位の目的外閲覧、内心面白がるだけの面接、気晴らしストレス解消の圧迫面接、残念ながらよくある話だ。コンプライアンスなんて大手のごく一部の話、社会全体に対する大きな責任など問われることのない中小企業、とくに矢野さんのようなBtoBで直接顧客とやり取りしないような業種なら気にもしないのが実態だ。それにしてもそんなもの、本当に気持ちいいと思っているのか。
「コロナでもお給料がもらえてまったりできる自分でよかったなあって思うんですよ。そんな自分にかわいそうな人たちの働かせてくださいって必死な履歴書がいっぱい届くわけで、そういうの読んでると気分いいんです、ああ、正社員でよかったって」