「小出監督からはレースの前日、『好きなように走ってこい、ただし、出し惜しみはするな。おれは20㎞と30㎞で応援しているから』と、言われただけでした」と明かした高橋(写真/共同通信社)
応援でもらったパワーをお返ししたい
2004年は残念ながら1本もレースに出ることができませんでした。でもファンのかたから「走る姿を楽しみにしているよ」という手紙をたくさんいただいて、これまでの人生で、いちばんうれし涙を流したシーズンになりましたね。
陸上人生としては最悪な年でしたが、多くの人の優しさに触れ、みなさんからたくさんパワーをいただいたから、今度は私がお返ししたいと思って。それがその後の人生のモチベーションになりました。
リストラされたり、大学受験に失敗したり、自分はダメだと思っているようなかたに、私が頑張ることで、“高橋も、もうダメかと思ったけど頑張れば立ち直れるんだ”って伝えたいと思いました。それを伝えるためには、レース後の優勝インタビューしかないと思って、2005年の東京国際女子マラソンは頑張りました。
〈この試合は、ブランクがあった復帰戦にもかかわらず、見事に優勝を果たす。優勝インタビューでは、「いま、暗闇にいる人や悩んでいる人に、1日だけの目標でも、3年後の目標でも何でも目標を持つことで、一歩一歩、一日が充実すると思います」とエールを送った。その後、2008年に現役を引退。いまは、スポーツキャスターやマラソン解説者として、スポーツのよさを伝え続けている〉
2005年の復帰戦のインタビューを聞いて、自殺をとどまったという手紙をいただき、うれしかったのですが、今年の『24時間テレビ』(日本テレビ系)でも私の走る姿を見てくださった3人のかたが、自殺を思いとどまったと、お手紙をいただきました。そのお手紙を読んで「走ってよかった、1人でも思いが届いて無駄ではなかった」とうれしく思いました。
私はオリンピックで人生が変わったので、来年、東京オリンピックが開催されたら、人生が変わる選手が出てくると思います。
それに、スポーツを見ると笑顔になれる、力をもらえるというかたが少なからずいらっしゃるので、多くのかたに笑顔が伝わっていくといいと思います。
【プロフィール】
高橋尚子(たかはし・なおこ)/1972年5月6日生まれ、岐阜県出身。中学1年生で本格的に陸上競技を始め、県立岐阜商業、大阪学院大学を経て、実業団・リクルート入り。1998年に名古屋国際女子マラソンで初優勝して以来、マラソン6連勝を果たす。2000年、シドニー五輪では陸上競技としては64年ぶり、日本女子初の金メダルを獲得し、同年、国民栄誉賞を受賞。2001年、ベルリンマラソンでは2時間19分46秒の世界記録(当時)を樹立。2008年10月に現役引退後はスポーツキャスター、マラソン解説者などで活躍している。
※女性セブン2020年10月22日号