西川昌希被告
俺は証拠も持っている
西川氏は著書で、衝撃的な生い立ちも明らかにした。幼い頃に両親が離婚し、六代目山口組・司忍組長の出身組織である「弘道会」傘下の暴力団の幹部だった親戚の家で、“ヤクザの子”として育てられたというのである。その幹部は西川氏が中学3年の時に、所属する組の若頭殺害事件に関与したとして逮捕された。
高校に進学した西川氏は、偶然知ったボートレーサー試験を受けて合格。2009年にデビューすると、頭角を現わして最高ランクのA1級に昇格する。その後、たまたま再会した元暴力団員の親族男性と不正に手を染めることになったというのだ。
西川氏の手口は“有利なインコースからわざと負ける”という単純な仕掛けだけではなかった。
〈レースのメンバーと実力、エンジン機力、レース場の特性、当日の天候と水面コンディション、コース取り、人間関係を見極めたうえで、「ある選手を勝たせながら、別のある選手を妨害し、そして自分は3着に入る」といった困難なミッションを驚異的な確率で成功させた〉(前掲書より)
改めて西川氏に聞くと、「強い選手でないと競艇の八百長は成立しません」と話す。
「本命の1号艇で着外(4着以下)が続けば不自然なので3着に留まったり、1号艇でない時に1号艇を潰して負けさせたりするテクニックが必要になる。強くて人気がないと、飛んだ時(本命で4着以下に沈んだ時)にオッズが低いので儲からない。不正をするなら、売り上げが大きくなる1日の後半~終盤レースでやらないと、オッズの変化が大きくなってすぐにバレるということもある」
ただ、自身ほど複雑な手口ではないものの、八百長に手を染める人間は他にもいると証言する。
「本にも書いたが、俺は証拠も持っています。俺は、不正をしている別の選手の情報を共犯者に流し、そこでも利益を上げていました。俺たちと不正の事実を共有していた選手もいれば、そうでない選手もいます。
でも、今後も他人のことを話すつもりはありません。本当に自分の身を守れなくなった場合はその限りではないが、他人を売ることはできない。俺の本を読んでもらって、不正をやってもいいことがないとわかってもらえば、それでいいです」