展示場内には遺跡から出土した現物や、それをもとに復元したものなど貴重な史料が並ぶ
続く古墳時代にも、女性リーダーが数多く存在したことが古墳に埋葬された人骨や副葬品などからわかる。特に古墳時代前期(4世紀)は首長の3割以上が女性だったと考えられる。男性リーダーと女性リーダーが分け隔てなく併存する時代で、性別が政治参加へのハードルになることはなかったのだ。
三上さんが「当時の女性像を知るための重要な発見」と指摘するのが、熊本県宇土市の向野田古墳だ。この古墳は全長90mの前方後円墳で、後円部中央の竪穴式石室から、数多くの副葬品とともに30代と思われる女性の人骨が見つかった。注目すべきは、女性の骨盤の一部に「妊娠痕」が見られたことだ。
「卑弥呼の“スピリチュアルな能力”が重要視されていたかつては、『未婚で子供を産む前の女性は神聖であり、だから神の声を聞ける』というイメージがありました。しかし向野田古墳に埋葬された女性には妊娠痕がある。子供を産み、しかるべき年齢になっても、社会的な経験を積んでリーダーとなり、人々から尊重されていたことを知ることができます」
つまり、古代では妊娠、出産を経験した女性も社会の重要なポジションについていたのだ。「女性の活躍」を国が掲げながらも、妊娠、出産が女性のキャリア形成にブレーキをかける現代人には見習うことが多い。
その後、古墳時代から飛鳥時代、奈良時代へと移る6世紀から8世紀にかけては、8代6人の女性天皇が存在した。
「女性天皇に関しても、以前は、次の男性天皇を擁立するまでの“中継ぎ”との考え方が支配的でした。しかし最近は、その当時、皇位継承の候補者の中で男女を問わず優れた人物が天皇になったとの説が有力になっています」
性差にこだわりがなかった古代日本にとって大きな転機となったのが、7世紀から8世紀にかけて取り入れた中国の法律体系である「律令」だ。
「当時の日本は国家統一のため、圧倒的に優位だった中国の文化や制度を取り入れました。そのうちの1つである『律令』は男性優位の法体系です。君主である天皇が国を統治するために男と女を分けて区分する必要があったのです」(横山さん)