救急搬送する「延命」と、着地を見守る「看取り」
自然の衰えに任せて、与えられた命を純粋に生き尽くすようにすれば苦痛は少ない。しかし、なかなかうまくいかないのが現状だ。
「たとえば、食べなくなってきた状態を家族は非常に心配します。“食べないと死んじゃう!”と焦り、よかれと思って一生懸命食べさせる。これが本人には大きなストレスで、誤嚥しやすく、新たなリスクを生む危険があります」
そして家族がいちばん知っておくべきは医療の問題だ。「医療は基本的に“病気を治す”ことが目的。救急車で運ばれる救命救急では、命を救うべく全力を尽くします。それに対し、私のような訪問診療医が終末期の高齢者に施す医療は、安寧な在宅療養を支え、穏やかに着地させる“看取り”が目標。目指すところがまったく違うのです。
もし老親の衰弱に焦り、救急搬送すれば原則は延命です。点滴や人工呼吸器、胃ろう造設などの処置があるでしょう。もちろんそれが功を奏して回復に向かうこともありますが、本人には苦痛になることも少なくない。場合によってはたくさんの管を体につけたまま、病院で最期を迎えることもあるのです」
最近は終末期医療の受け方について考え、家族らと話し合っておく「人生会議」 が話題になり、「延命は希望しない」という人も多い。しかし実際には、最期に向かうステップはさまざまで、延命をする/しないの選択だけでは済まないことも多いという。
「いずれにしても高齢の親をもつご家族は、ある段階で健康の維持・向上から、『看取り』を見据えた医療と向き合う必要があります」