遠山氏が「松井秀喜キラー」に変身した陰にもノムさんの言葉があった(時事)
もう一人、「野村再生工場」の最高傑作の一人に数えられる遠山奨志氏(昭治)の話も聞こう。1985年にドラフト1位で阪神に入団し、1年目から8勝をあげて活躍するが、肩を傷めて1990年オフにロッテにトレードされて野手に転向した。1997年オフに戦力外になると、阪神に投手としてテスト入団。野村氏が監督になると、サイドスローの左腕としてワンポイント起用で活躍し、特に巨人の松井秀喜、高橋由伸キラーとして名を馳せた。
「プロ人生の最後に野村監督と出会って野球に対する考え方が変わりました。キャンプ中のミーティングが長いことは有名ですが、なにしろ食事したあとに始めるので、眠いし疲れるしで辛かったですね(笑い)。もちろん内容には興味があるし面白いんですよ。
監督はピッチャーの感覚や経験、キャッチャーの感覚や経験が大事だということがよくわかっていて、松井との対戦でも、ベンチから指示はまったく出ないんです。僕自身、どうやって打ち取るか考えるようになって、初球が入りやすくなりました。もちろん野村監督の考えと違うこともあったし、うまくいっても常に修正が必要。そのためにミーティングは大事にしていました」
ボヤきの裏に選手を尊重する指導者の姿があったからこそ、多くの教え子が厳しい指導についていったのだろう。