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2020.12.28 07:00  週刊ポスト

作曲家・水森英夫氏「紅白は演歌、歌謡曲にとって最高の舞台」

作曲家の水森英夫氏が紅白の思い出を振り返る

作曲家の水森英夫氏が紅白の思い出を振り返る

 年の瀬に放送される紅白歌合戦に出場することは、歌手にとって最大の名誉。そして、作曲家にとっては、自分の楽曲が紅白で歌われることもこの上ない喜びだ。作曲家の水森英夫氏が紅白の思い出を振り返る。

 * * *
 天童よしみさんが苦節23年で初出場を決めた1993年、私が作曲した『酒きずな』が選曲されました。私自身も44歳で初めて自分の曲が歌われる。それで会場に行ったのですが、控室前の通路は余りに人が多かったので、近くの東武ホテルに移動し、テイチクのディレクターと宣伝マンとテレビで観ました。天童さんは歌い終わると、唇を噛み締めた。私も堪えていた涙がウワッと飛び出した。皆で握手して喜んだことを覚えています。

 私は26歳で歌手を辞め、作曲家に転身しました。しかし、10年経ってもヒット曲が出ない。一方、副業で始めた赤坂のスナックは絶好調で、多店舗展開を考えていました。そんな時、店のお客さんに「最近、どんな曲を作ってるの?」と訊かれ、ギターで弾き語りをしました。

 その直後、店の構想を話すと「……それはどうかな。店は俺でもできる。でも、こんな良い曲は作れない。3年、必死に売り込むべきだよ」と説得されました。その曲が『酒きずな』だったんです。

 氷川きよしは高校卒業後、私の弟子になりました。何を歌わせても60点でしたが、股旅ものを歌うと90点近くなる。3年が過ぎた頃、事務所にデビューの話を持っていきました。当時、男性演歌歌手は不遇が続いており、9社断わられた末、長良プロダクションに決まった。

『箱根八里の半次郎』を聴いてもらうと、長良じゅん社長が「キャッチーな言葉がほしい」と仰り、『やだねったら やだね』というフレーズを入れました。僕が麻雀で振り込まれた時によく言っていたセリフなんですよ(笑い)。

 氷川には敢えて茶髪とピアスをさせ、ギャップを作った。本人から紅白出場の連絡があった時は、思わずバンザイをしました。紅白は演歌、歌謡曲にとって最高の舞台。弟子が私の曲を歌うことほど嬉しいことはありません。

【プロフィール】
水森英夫(みずもり・ひでお)/1949年9月18日生まれ、栃木県出身。1963年、『悲しきジンタ』で歌手デビュー。1977年、作曲家に。弟子の山内惠介も、2015年に『スポットライト』で初出場。

※週刊ポスト2021年1月1・8日号

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