急に「人並みに生きたい」と感じ、焦った
桂さんが東京で職場として選んだのは、ビルの清掃会社だった。中卒という経歴でもなんとか雇ってくれ、同僚といえば中高年ばかり。ちょうど「就職氷河期」世代ということもあり、仕事がないという同年代の人間がたびたびやってきたが、仕事は地味で薄給、将来など考えられないとすぐに辞めていった。
桂さんは真逆で、会社内に明るい会話はなかったが、苦手とする若者どうし特有のノリがないことが心地よく、これならずっと続けられると感じた。ところが、リーマンショックが起きた翌年の2009年暮れ、突如会社から解雇された。会社の経営悪化により、若い社員から順にクビを切られた。残ったのは中高年のパートタイマーだけ。正社員は管理職のみにして経営改善を図るというのが会社の狙いだった。
「昇進もなければ給与も上がらない。でも、ずっとやっていける仕事だと思っていましたからショックでした。それがきっかけではないですが、同じ頃に鬱とパニック障害を患い、結局、僕も、父と同じように国の支援……障害者年金をもらうことになりました」
就業支援施設に通うことも検討し数カ所見学に行ったが、そこで目にしたのは、桂さんよりさらに社会に馴染めそうにもない人か、ほとんど「普通」に見えるが、ただやる気のなさそうな人ばかり。桂さんのようなある意味「中途半端」な存在は、施設担当者からも「あなたの頑張りが足りないだけではないのか」と指摘され、追い返されたこともあった。
「ある病院では障害があると言われ、別の病院では障害はないと言われる『ボーダー』の僕は、どこに行っても厄介者でした。僕自身、自分が何者なのかわからなくなっていました」
救済を受けることも、再スタートを切る方法も教えてもらえなかった桂さん。それから昨年の4月まで10年以上、派遣の衣料品倉庫作業員として、時給1000円の現場で働いてきたという。東京都下の家賃4万2000円のアパートに住み、ただただ毎日、千葉県内にある倉庫と自宅を往復する日々。何も良いことはなかったが、逆にこれといった悪いこともなく過ごせたことがよかったとすら感じていた。しかし、新型コロナウイルスの影響からか、衣料品の売れ行きが芳しくなり、桂さんが働いていた倉庫は、別の倉庫に統合され閉鎖されることが決定。別の現場に転じるよう会社から促される人もいたが、40歳以上のスタッフには声すらかからず。40歳を過ぎていた桂さんは、そのまま無職になった。
「この時初めて、年齢に気がつきました。今までは僕の生まれ育った環境を恨むだけで、それを全ての原因にしておけばよかった。でも、この歳までこういう生き方をしていたのは紛れもなく僕。急に『人並みに生きたい』と感じ、焦りました」
そんな時に出会ったのが「配達員」という仕事だった。元引きこもりで配達員をやっているという若者のブログを見て、これなら自分にもできると、近くのホームセンターで7980円のママチャリを購入、昨年の6月に初めての「配達」を行った。しかし勝手がわからず、3日稼働して配達できたのは4件、1500円ほどの収入にしかならなかった。ただ、配達の仕事は、思っているよりも自分にマッチしているとわかった。