「配達といっても、コロナ対策で配達先の人と会話することもない。商品を受け取る時、お店の人と少し会話をしますが、挨拶と商品の確認程度。体力的にはきつかったですが、1ヶ月もすると慣れ、1日に5000円は稼ぐこともできた。なんとか食いつなげた、助かったという思いでした」
「配達員」の仕事をし始めてわかったことだが、SNSなどを見ると、自分と同じようになんらかの原因でサラリーマンなどの仕事ができず、配達の仕事があったおかげで助かったという境遇の人がたくさんいた。コロナに限らず、人との接触が極度に苦手、という人は思いの他たくさんいて、そういった人々のセーフティーネットにもなっていたのである。
夏の終わりには、1日の売り上げが1万円を超えることも珍しくなくなり、別の宅配サービスの配達員にも登録して掛け持ちで働けるようにした。月収は25万円を超えるようになり、体力もつき健康にもなって一石何鳥だと喜んだ。しかし最近、以前にもまして「自己否定」の気持ちが強くなってきたと感じるという。
「この仕事を卑下するわけではありませんが、丁寧に仕事をしたとしても、普通の会社のように上司から評価されるわけでもなくステップアップは望めない。報酬は上がることなく、何十年やっても今のまま。ただ件数をこなし、無難に、問題を起こさずにやったか、それ以外は求められない」
コロナ関連のニュースをテレビで見ていた時、外に出るのが怖いという人々が買い物の代行を依頼する新ビジネスがアメリカで急成長している様子を報じていた。買い物をしていたのは黒人の中年女性。翻訳サイトを使い、アメリカのニュースサイトを調べてみると、あの黒人女性達もやはり、自分と同じで、仕事がなくなったから「代行」の仕事をしているようだった。
「今を生きるために選んだ仕事で、後悔はしていません。ただ、将来がある仕事ではない。出自や学歴、年齢や性格、病気もあって将来のある仕事は選べない。でも食べていかなければならないから、将来の見いだせない仕事をするしかない。この負のサイクルこそ、格差だと思いました。コロナで格差は広がっている、以前よりずっと早いスピードで、人々が分別されているように思うのです」
コロナ禍が続き、日々の仕事量は増え続ける一方。今は働けば働くほど収入は増える。しかし、働けば働くほど時間はなくなり、年齢を重ね、自身の生きる選択肢は狭まっていく。世の中はますます、使う人と消費される人に分けられてゆき、一度消費される側に回ったら、ニュートラルな状態に戻るのは難しく、やり直しのチャンスすら現実には見つけられない。二極化が進んでいるのだから、富裕層ではないけれど貧困ではないはずの中間層すら、近いうちに消滅するのではないか、そう感じている。
「貯蓄も、今はいくらあれば十分なのか想像もつかない。お金があっても、人並みに人生を生きていけそうにはないですから。注文が入ったら、スマホで支持されるままに仕事をこなしていれば、その日は過ぎていく。あと10年もしたら、この仕事はできないと思いますが、それはその時考えます」
「絶望を考えること」もやめたと筆者に告げた桂さん。非公開の自身のSNSには日々、その日得た報酬だけが今日も記され続けている。