1980年代にパソコンが普及し1990年代になると低価格モデルが次々と発売された。写真はIBMパーソナルシステム・55・モデル5550STV(1987年発表)[日本IBM(アイ・ビー・エム)提供](時事通信フォト)
初めてパソコンを触り、インターネットという世界があることも知った桂さん。50万円ほど溜まっていた貯蓄を切り崩し、IBMのデスクトップパソコンを思い切って購入。月に1万円以上かかったというネット回線も契約した。その後、ネットサーフィンだけに飽き足らず、独学で簡単なプログラミングも始め、世界がどんどん広がって行く感じがした。しかし──。
「パソコンを触っている時は、現実世界のことを考えずに済みました。でも、パソコンから離れた瞬間、自分は底辺だ、社会の荷物にならないよう、細々と工場で作業をし続けるのだ、と考え始めるんです」
それでも、パソコンの知識をますますつけて行く桂さんのことを、会社はしっかり見てくれていた。パソコンに詳しい上司に見初められ、会社のホームページを作る担当者に選任されたのである。
「多分、人生で初めて他者から評価された経験、初めてもらった肩書き。僕は生きていていいのだ、という感覚。家に帰っても興奮して眠れず、未成年でしたが、酒屋でビールを買い部屋で飲みました。苦くて美味しくなかったですが、お祝いしたかったんです」
23才で会社を辞めると、地元のOAサービス会社に転職。工場にずっといても将来が見えないだろうと、パソコンに詳しい上司が職場を紹介してくれたのだ。希望に胸を膨らませた再スタートだったが、ここに思わぬ盲点があった。わずかに自信を取り戻した桂さんではあったが、他者とのコミュニケーションは、相変わらず取れなかったのである。
「転職先では、営業もしつつ、得意先のITコンサルも行わなければならず、まともに人と話せない私は、すぐに会社で浮いた存在になりました。パソコンを使った作業はできるのですが、指示がなければデスクから動けず冷や汗をかき固まっている」
取り戻したはずのほんの少しの自信は消え去り、またしても「自己否定」に陥った桂さん。クビ同然で会社を辞めると、自室に舞い戻り、再び引きこもり生活が始まってしまった。
「ちょうどその頃、親父が死に、住んでいた市営住宅も老朽化で取り壊されることになっていたので、僕のことを知る人がいない場所に住もうと、東京に出ました。東京は、人は多いですが、思ったより人が干渉してくることがなく、僕には向いているのかなと思いました」