日光東照宮から連想される「将軍」の別称「大樹(たいじゅ)」から名付けられた東武のSL「大樹」。ヘッドマークは3つの動輪で「葵の御紋」を表している(時事通信フォト)
また、通常の録音と異なるのが、現場には鉄道職員やお客がいるという点だ。鉄道は定時運行が原則。SLの音を収録するために特別のダイヤを組んだり、一時的に駅に停車をさせたりといった便宜を図ることはできない。
SL大樹はダイヤ通りに運行し、それを一発勝負で録音する。録り逃しは許されない。近所の線路で予行練習を繰り返したが、そこを走っているのは電車。SLとは勝手が異なる。
プレゼントキャンペーンの期日が迫っていたこともあり、ティアックの担当者は事前にロケハンもできなかった。現場で東武の職員の方にアテンドされながら、とにかく走り回るしかなかった。
「現場での収録には注意すべき点が多々あるのですが、ホームや車内には多くの利用者がいます。そのため、大人数での収録は難しく、人数を絞って2名で収録をしました。実際に使った機材は6機、予備も含めれば10機です。かなりハードな録り鉄になりました」
また、機関車内にも機材を設置して、臨場感のある音を収録することにもチャレンジした。しかし、SLの機関車内は機関士・機関助士の聖域ともいえるスペース。東武の職員でも容易に立ち入ることはできない。機材を設置するという大義名分があっても、ティアックの担当者が機関車内に立ち入りできなかった。そのため、録音機器の設置は機関士・機関助士に一任するしかなかった。
「機材の設置場所も含めて、果たしてうまく録音できているのかという不安はありました。音を確認したら、特に音が割れていることもなく非常にうまく録れていました。録った音声は、データにすると約25GBの容量で、時間に換算すると約25時間もの膨大な量です。それを一本約30分に編集しています」(同)
東武鉄道がキャンペーンでプレゼントするSLの音のカセットテープは、現地に足を運び乗車証を4枚手に入れなければならない。また、なくなり次第キャンペーンは終了するので、かなりの希少品ともいえる。
いくら人気の高いSLといえども、今回の音をプレゼントするという東武の試みは一般的にマニアックと受け止められるかもしれない。しかし、録り鉄は乗り鉄のように遠くまで出かける必要はなく、自宅の近くの駅でも可能だ。線路沿いや踏切端なら密を避けることもできる。
また、必ずしも業務用の機材を使う必要もない。自分の所有する機材で、初心者なら高価な機材を揃えず、スマホからチャレンジするのもいいだろう。
実はコロナ禍によって、“音鉄”や“録り鉄”に追い風が吹いている。企業がリモートワークを推奨したこともあり、自宅で音楽やラジオを流しながら作業をする在宅ワーカーが増えているからだ。映像コンテンツは、見なければ楽しめない。それでは作業は捗らない。音声なら、作業の妨げになりにくい。
昨年の緊急事態宣言では、STAY HOMEが呼びかけられた。STAY HOME期間中、鉄道ファンは自宅の鉄道模型を本物っぽく撮影して楽しむ“おうちで撮り鉄”という新たな楽しみ方を見出した。今回の緊急事態宣言の期間では、在宅ワーカーに適した“録り鉄”“音鉄”という楽しみ方がムーブメントを起こすかもしれない。