渋沢栄一記念館で公開されているアンドロイドは、70歳前後の渋沢を想定してつくられたもので、製作費は約4000万円。残った寄付金で2台目を製作する計画も進められている。2体目は、80歳前後の渋沢を想定しているという。
深谷市と渋沢の関係は、出生地というだけにとどまらない。深谷市の玄関口になっている深谷駅は東京駅とそっくりのデザインをしているが、これは東京駅に使われている赤レンガが深谷市産であることに由来している。
「現在の深谷駅は東京駅と外観が似たデザインになっていますが、耐震強度の観点からレンガ造にすることは叶いませんでした。見た目を東京駅の赤レンガ駅舎のようにするため、深谷駅は壁面に赤レンガを模したタイルを貼っています」(同)
東京駅の赤レンガ駅舎は、渋沢の生誕地からほど近い上敷免村(じょうしきめんむら、現・深谷市)の日本煉瓦製造で生産された。日本煉瓦製造が上敷免村に工場を構えた理由は、土壌が赤レンガの原料として最適だったからだ。
1895年には日本煉瓦製造の工場から専用線が敷設され、日本煉瓦製造で生産された赤レンガは建築需要の旺盛な東京へと運搬された。日本煉瓦製造会社でつくられたレンガは、司法省(現・法務省)・日本銀行本店・赤坂離宮・旧警視庁・旧三菱第2号館・東京大学・東京駅などに使用されている。
日本煉瓦製造の創業や経営に渋沢が関わったことは言うまでもないが、前述したようにレンガの輸送を担当した日本鉄道(現・JR東日本)にも渋沢は経営陣として名を連ねた。
こうした歴史的な経緯から、深谷市は”レンガのまち深谷”をアピールしている。そのため、渋沢を主人公にした大河ドラマ「青天を衝け」の放送に合わせるかのように、昨年には市役所本庁舎を改装。新装した市庁舎には、約16万個の赤レンガが使われている。
深谷市のレンガにかける強い思いは、深谷駅や市役所などにも表れることになったが、それを技術的に支えたのが建築材料・住宅設備機器では業界最大手のLIXILだ。
LIXILは、2012年に完成した東京駅の赤レンガ駅舎の復原工事も担当した。歴史遺産の復原は歴史的な色・形を残しつつ、現代の法律に適した耐震・耐火基準をクリアするという難しい条件が課せられる。もともと存在していたものを再現する”復元”ではなく”復原”と表現されるのも、そうした意味が込められている。