渋沢栄一一覧

【渋沢栄一】に関するニュースを集めたページです。

青天を衝け
『青天を衝け』、好調をキープできた「3つの理由」を時代劇研究家が解説
 NHK大河ドラマ『青天を衝け』は12月26日に最終回を迎える。“日本資本主義の父”と称される渋沢栄一を人気俳優・吉沢亮が演じたことでも話題を集めた。視聴率も好調で、SNSなどでも「名作」と評価する声が目立った。1年近く好調を持続できた背景をコラムニストで時代劇研究家のペリー荻野さんが解説する。 * * * まもなく最終回となる『青天を衝け』。2月放送開始という変則スタートながら、安定した視聴率を獲得し続けてきた。そこで、その人気の秘密を改めて考えてみたいと思う。 秘密その1は、序盤のロケ地の素晴らしさだ。渋沢栄一は、武蔵国の血洗島村(現在の深谷市)の有力農家の嫡男として、藍玉の製造や販売を手伝いながら、商才を磨く。舞台となる血洗島村は、丸ごとオープンセットとして群馬県安中市に作られている。東京ドーム5個分の広大な土地に2トンダンプ40台分の土を運んで藍や桑を三千本以上植え込み、栄一の生家のセットもほぼ実物大で再現。道祖神やほこらまで造られたという。 青々とした藍の畑を栄一やいとこの喜作(高良健吾)は、思い切り走り回る。子ども時代は、囚人(砲術家の高島秋帆・玉木宏)に興味を持ち、夜道を疾走。少年となって、商用で父と江戸へ行けると大喜びで喜作の家に駆け込む。 コロナ禍で家にこもりがちな毎日、この突き抜けた映像は、気持ちよかった。村の祭り、川遊び、畑の収穫、葉を広げた「ひこばえの木」、爽快な空気を感じさせるスタートダッシュだった。 秘密その2は、栄一のおしゃべりを活かし、しばしば名言が飛び出したこと。 たとえば、初めて江戸に出た栄一は、祭りのようなにぎわいに浮かれるばかりではなく、町を動かしているのが商いだと気づく。そして出たのが、「この町は商いでできている!!お武家さまがまるで脇役だ。こんなほまれはねぇ。この江戸の町はとっさまみてぇな商い人がつくってるんだいな」という言葉。世の中を動かしているのは誰か。視聴者にも気づかせるのだ。 また、パリで証券取引所に案内され、債券の仕組みを教わった栄一は目を輝かせる。「小さな力を合わせて大河の流れを作り、一人では決して出来ないみなが幸せになるものを生み出す。一人が嬉しいのではなく皆が幸せになる。一人一人の力でこの世を変えることが出来る。おかしれぇ。これだ。俺が探し求めてきたことはこれだ!」 栄一が国債と鉄道債を購入して得た利益は、日本に帰国する大切な資金となった。多くの人の役に立つ「社会資本」の意味がここで伝わるのである。 栄一と話したことで名言が出た人物もいる。幕府奥詰医師の高松凌雲は、栄一と公務の合間にパリの街を見物し、戦で傷ついた兵士を治療する廃兵院を訪れた。「医者はどこにいようが、相手が誰であろうが、平等に正しい治療をするのみ。その真心を、この地で見つけられた気がする」 高松凌雲は、のちに民間救護団体の前身といわれる同愛社を創設。困窮者の医療に尽くした。医療の本質を語る言葉は、今に響く。 秘密その3は、「青春」であり続けたこと。大河ドラマ歴代最長寿の主人公・渋沢栄一の人生の中で『青天を衝け』は、経済人として大事を成し遂げる晩年よりも、若く未熟だった時代を長く描いた。時代の荒波に翻弄され、失敗もする姿のほうが、やっぱりイキイキして見えたし、共感もされたはずだ。 最終回のタイトルは「青春はつづく」。コロナ禍の息苦しい日々に毎週、青空を見せてきたドラマの「青春」を確認したい。
2021.12.25 16:00
NEWSポストセブン
渋沢栄一も愛した避暑地・軽井沢 参勤交代から生まれたサロン文化と名所
渋沢栄一も愛した避暑地・軽井沢 参勤交代から生まれたサロン文化と名所
 日本の避暑地の代名詞ともいえる軽井沢に新たな風が吹いている。コロナ禍で都会を脱出する流れが生まれ、テレワークの普及もあいまって人気が急上昇。軽井沢の地価は前年比10%上昇し、20年度に県外から移住してきた人の数は約1000人に上る。【写真9枚】三島由紀夫やジョン・レノンなども泊まったホテル、江戸の風情が残る散歩コース…他、軽井沢の“サロン文化”を示す名所8選 かつて軽井沢は、中山道の宿場町として栄えた。難所である碓氷峠の入り口にあたる軽井沢宿に、峠越えの多くの旅人が宿をとったのである。参勤交代の大名が投宿し、諸藩と情報交換を行なったことが、軽井沢のサロン文化の源流との説もある。 明治に入ると、国道や鉄道の整備で宿場町の利用は激減したが、宣教師ショーが軽井沢を生涯の避暑地としたことをきっかけに、外国人の別荘が建つようになった。1894(明治27)年には、日本人の別荘や西洋式に改装された万平ホテルの開業とともに、軽井沢は日本有数の避暑地として発展していった。 戦後、人々のレジャー志向の高まりとともに宿泊施設が充実。皇太子明仁親王(当時)のテニスコートのロマンスが伝わると、テニスブームと相まって軽井沢が脚光を浴び、日本を代表するリゾート地として定着した。参勤交代の時代から生まれた軽井沢の“サロン文化”を示す名所を紹介しよう。●「軽井沢の父」による最古の教会『軽井沢ショー記念礼拝堂』 1895年に「軽井沢の父」と呼ばれる宣教師のショーが軽井沢で初めて建てた礼拝堂。●「日本資本主義の父」渋沢栄一も愛した避暑地 日本に資本主義をもたらした渋沢栄一は、たびたび軽井沢で政財界の要人と会合を行なった。●江戸時代の風情が残る定番の散歩コース『追分宿』 中山道と北国街道の分岐点にあった宿場町。往時の雰囲気が残る軽井沢散策の定番。●日本中が熱狂した「テニスコートのロマンス」『軽井沢会テニスコート』 現在の上皇・上皇后陛下が初めて出会われた場所として知られる。●国内最大規模のレンガ造りアーチ橋『碓氷第三橋梁』 横川・軽井沢間にある通称「めがね橋」。1893年に開通し、軽井沢の近代発展に寄与した。●空前の別荘ブームの牽引役『レイクニュータウン』 人造湖を中心とした大規模別荘地。1970年代に巻き起こった別荘ブームを牽引した。●日本政府が終戦交渉を行なった『旧スイス公使館』 戦時中に疎開のため移転した公使館。ポツダム宣言受諾を連合軍に打電したとの逸話が残る。●国内外のセレブに愛されるクラシックホテル『万平ホテル』 1894年創業の老舗ホテル。三島由紀夫やジョン・レノンなど、多くの著名人が滞在している。※週刊ポスト2021年8月20日号
2021.08.10 07:00
マネーポストWEB
父斉昭の方針で文武両道の教育を受けたが、幼少期は学問より体を動かす方が好きだった(写真=近現代PL/AFLO)
幕府に愛着も未練も無かった将軍・徳川慶喜 根源にあった尊皇思想
 大政奉還という歴史の大転換をつくった英傑ながら、鳥羽伏見の戦いで敵前逃亡した臆病者だと評価が二分されてきたのが、徳川慶喜。放送中のNHK大河ドラマ『青天を衝け』で草なぎ剛の好演でも注目を集めている徳川慶喜は、いったいどんな人物だったのか。フランス文学者の鹿島茂氏が読み解く。 * * * 日本の近現代史で徳川慶喜ほど毀誉褒貶相半ばし、評価の定まらない人物はいない。一見したところ、行動や決断に一貫性がないと思えてしまうからだ。 たとえば、元々慶喜は水戸学の弟子筋にあたる長州の尊皇攘夷派にシンパシーを抱き、主要敵は薩摩と思い定めていた。だから、元治元年(1864年)、長州藩兵が大挙上洛したとき、禁裏御守衛総督(御所を警備する責任者)だった慶喜は、朝廷の会議で「長州が朝敵とならないよう理を尽くして説得し、京から退去させるべきだ」と主張していた。ところが、途中で長州を掃討する方針に転じ、薩摩藩にも協力を求めて御所を死守することにし、長州が市街戦を起こすと見事な指揮で鎮圧した(禁門の変)。 最大の謎は鳥羽・伏見の戦いにおける行動だ。慶喜の側近中の側近だった渋沢栄一も、25年の歳月をかけて編纂した『徳川慶喜公伝』(大正7年=1918年刊)の序文で次のような疑問を呈している。「大政奉還したのになぜ鳥羽・伏見で戦闘を行ったのか」「大軍で上洛すれば薩摩軍との戦闘が避けられないことは覚悟していたはずなのに、なぜ大阪から江戸へ軍艦で帰ってしまったのか」。 こうした謎は『徳川慶喜公伝』を精読すると解ける。結論から言えば、慶喜は徹底した尊皇第一主義者なのである。慶喜に大きな影響を与えた父・徳川斉昭と異なり、慶喜の思想の第一は「尊皇攘夷から攘夷を引いたもの」であり、開国か攘夷かは二の次三の次。しかも、頭で考えた抽象的な尊皇ではなく、生身の天皇に対する尊皇なのだ。自分の考えが天皇の意向に反しているとわかったときは必ず天皇に合わせる。それゆえ禁門の変のとき、孝明天皇(明治天皇の父。1831~1867)が長州に怯えて征伐の勅命を下すと方針を一転させたのである。 大政奉還も純粋な尊皇第一主義のなせる業だった。慶喜には幕府というものに対する愛着、未練がない。尊皇第一主義ゆえの敵前逃亡 鳥羽・伏見の戦いは当初は薩摩側と旧幕側の私戦のはずだった。ところが、旧幕側に対する征討大将軍に任命された嘉彰親王に朝敵征伐の錦の御旗が与えられ、官軍vs賊軍の戦いにされてしまった。これは慶喜にとって耐えられない事態である。だから総大将の敵前逃亡という、日本の歴史において前代未聞、空前絶後の珍事を起こしてしまった。 慶喜が江戸城に戻ると、フランスの援助で軍隊の近代化を手掛けた小栗忠順をはじめとする旧幕臣が次々と慶喜に主戦論を唱えた。フランス公使レオン・ロッシュも何度も登城して慶喜に再挙を促した。旧幕側は最新鋭の多数の艦船や万単位の銃を保有し、歩兵部隊も近代化し、十分に戦える戦力を有していた。 だが、慶喜はついに首を縦に振らなかった。「自分こそ本物の尊皇主義者だ」という信念があったから「君側の奸を討つ」という理屈を掲げても良かったはずだが、尊皇第一主義ゆえに慶喜にはそれができなかった。 仮に慶喜が江戸で挙兵していれば歴史は変わっていたに違いない。実際の戊辰戦争以上の激しい内乱になった可能性があり、新政府軍は箱根を越えて進攻できず、箱根を挟んで旧幕軍と新政府軍が睨み合う状況になったかもしれない。東西分裂である。内乱ないし膠着状態が長引けば、南北戦争を終えて外に向かう余裕の生まれていたアメリカの介入を招き、状況はさらに複雑になっていただろう。 そうした事態にならず、戊辰戦争は短期で終結し、日本は近代化の道を走り始めることができた。そう考えると、近代日本の運命を決めた「明治維新の最大の功労者」は慶喜なのである。【プロフィール】鹿島茂(かしま・しげる)/1949年神奈川県生まれ。フランス文学者。慶喜論を収録した『本当は偉大だった 嫌われ者リーダー論』(集英社)、『渋沢栄一』(文春文庫)他著書多数。編著に『文春ムック 渋沢栄一』、監修に『別冊太陽 渋沢栄一』。サントリー学芸賞、読売文学賞など受賞多数。※週刊ポスト2021年6月18・25日号
2021.06.14 11:00
週刊ポスト
経済の歴史を感じられるスポットを紹介
開港、渋沢栄一など、日本経済の発展を感じられる「横浜歴史スポット」
 1854(嘉永7)年に日米和親条約が調印され、横浜港は1859(安政6)年に開港した。以来、横浜の街は居留地時代、外国貿易の拡大、関東大震災、戦争といった様々な時代を経て発展を遂げてきた。そして今、横浜市中心部を再生させ、活性化させる壮大な都市計画が進行している。 中でも桜木町・みなとみらい21エリアは、先ごろ開業したヨコハマエアキャビンなどの新施設や観光スポットに加えて、LEDでドームのパネルそのものが映像を映し出す日本初の方式を採用したプラネタリウムが入る「横濱ゲートタワー」など開業予定の施設も目白押し。時代は常に激動に晒され都市景観の変貌は止まないが、開港から現代に至るまでの歴史と文化が温存されている横浜の魅力は計り知れない。 行政機関や企業が集積する中区は、山下公園や港の見える丘公園、横浜中華街、元町、伊勢佐木町などの繁華街や観光地だけでなく、名所旧跡や遺構が数多く点在している。 中区海岸通1丁目1番地に位置し、国際都市へと至る発展ぶりを見届けてきた横浜の象徴である大さん橋をはじめ、製糸・生糸貿易で財をなした原三溪が造りあげた三溪園、関東大震災からの復興のシンボルであり、戦後の日本の行方を見守ったホテルニューグランドなどを訪れてみれば、往時の横浜を感じ取ることができるだろう。 では、経済の歴史を感じられるスポットを紹介しよう。■横浜赤レンガ倉庫 1911年、国の保税倉庫として建設された。終戦後、アメリカ軍に接収され港湾司令部として使用。1990年代からは横浜市が保存・活用に着手、現在は文化施設と様々なショップが入る商業施設となり憩いの場になっている。■井伊直弼と掃部山(かもんやま)公園 日米修好通商条約を締結し、横浜開港を導いた井伊直弼ゆかりの公園。横浜みなとみらい21を見下ろす高台にあり、直弼の銅像が建っている。■渋沢栄一と旧横浜正金銀行本店本館(現神奈川県立歴史博物館) 渋沢栄一が株主だったことでも知られる横浜正金銀行本店。1904(明治37)年に建設されたネオ・バロック様式とされる重厚な佇まいで、現在は神奈川県立歴史博物館として一般公開されている。■鉄道創業の地 記念碑 1872(明治5)年、日本初の鉄道が新橋駅~横浜駅(現桜木町駅)間で開業。これを記念してJR桜木町駅近くに建立された碑で、開業当時の時刻表などが刻まれている。■ホテルニューグランド 1945年8月30日、厚木に降り立った連合国軍最高司令官・マッカーサーは、声明文朗読後ただちにホテルニューグランドに向かった。当時の専用室は、現在「マッカーサーズスイート」(315号室)となり宿泊できる。■山下公園からの横浜港大さん橋 明治30年頃の大さん橋全景(横浜開港資料館所蔵)。横浜港でもっとも歴史のある埠頭で、幕末の寒村から378万人の国際都市への発展ぶりを見届けてきた横浜の玄関にして原点。■氷川丸 日本郵船が1930 (昭和5)年にシアトル航路用に建造した貨客船で、戦前の造船技術や客船の内装を伝える貴重な産業遺産。1961(昭和36)年より山下公園前に係留保存され、一般公開されている。■三溪園 実業家で茶人の原三溪(本名・富太郎)によって造園された日本庭園。17.5ヘクタールの敷地に京都の燈明寺から移築した三重塔をはじめとする17棟の歴史的建造物が配置されている。撮影/内海裕之※週刊ポスト2021年6月11日号
2021.05.31 19:00
週刊ポスト
堤真一が「絶対に共演したくない」という俳優とは…?(撮影/小彼英一)
『青天を衝け』、注目は2人の「平」 堤真一、岡田健史の演技が光る
 吉沢亮が「日本資本主義の父」実業家・渋沢栄一を演じて話題のNHK大河ドラマ『青天を衝け』。注目すべきは「平」がつく2人の登場人物だという。コラムニストで時代劇研究家のペリー荻野さんが解説する。 * * * いよいよ主人公の渋沢栄一(吉沢亮)が一橋家の家臣となり、京都編が始まった大河ドラマ『青天を衝け』。レギュラーかと思われた徳川家康様(北大路欣也)が登場せず、大騒ぎとなったが、ここでは今後の物語でマークしたい「平」がつく人物ふたりについて書いてみたい。「平」のひとりはもちろん平岡円四郎(堤真一)。旗本の家の生まれだが、短気なべらんめえのお兄いさんという雰囲気の円四郎は、推薦されて嫌々、一橋慶喜(草なぎ剛)に仕えるが、慶喜の人柄に感銘を受けて命がけでこの殿を守ると決意。身分に関係なく、鼻息荒く動き回る栄一と渋沢喜作(高良健吾)と知り合い、うちで働かないかと声をかけ、断られたのに「気が変わったら来な」と声をかけていた。 先日放送された第13回「栄一、京の都へ」は、円四郎が主人公といってもいい展開だった。妻のやす(木村佳乃)には目尻を下げてデレデレの円四郎は、やすに「こんなの」と栄一と喜作の顔マネでふたりの人相を説明。一方、京では「なーにが新しい世だ!!」と他藩の殿様の発言を目を三角にして批判したり、ドジな栄一たちに「はあっ!?」「そんなこったろうと思ったぜ」と呆れ顔になったりと、次々顔芸を炸裂させる。 だが、締めくくりは無鉄砲なふたりが生き残ってきたことに感心し、「悪運が強いところも気に入ってる」と笑顔だった。 これまで平岡円四郎は大河ドラマ『徳川慶喜』では新井康弘、『西郷どん』では山田純大が演じてきたが、攘夷派からは敵とみなされてきたせいか、あまりクローズアップされてこなかった。今回、堤真一が愛嬌たっぷりに演じてきた平岡の思い、生き方が渋沢にどう影響を与えるのかは重要だ。私の予想では渋沢の晩年、「俺の眼に狂いはなかったぜ」と幽霊として出てくるのではという気もする。 そしてもうひとりの「平」は、栄一の従弟の尾高平九郎(岡田健史)だ。『青天を衝け』の大きな特長は、栄一の地元の家族・親族の絆、商売やものの見方をていねいに描いたこと。その中で平九郎は、まだ目立たないが、やがて栄一の「見立て養子」になる男子だ。兄貴分の栄一と喜作が去り、兄の長七郎(満島真之介)が捕縛され、大変な村でまじめに働く平九郎。しかし、栄一の師匠ともいえる兄の尾高惇忠らに従い、幕末の動乱に巻き込まれてしまうのである。 平九郎のストーリーもこれまであまり描かれてこなかったが、実在の平九郎も文武両道で写真に残る姿もなかなかの美青年。今後、めきめきと存在感を増すはず。岡田健史は、昨年、BSプレミアム『大江戸もののけ物語』で猫又などもののけに助けられるへなちょこ若侍、映画『新解釈・三國志』では調子のいい諸葛孔明(ムロツヨシ)らに押されまくる呉の王・孫権、現在は『桜の塔』で警視総監を目指すギラギラ監察官上條(玉木宏)らに囲まれる若き刑事を演じている。年長者(猫又も含め)に翻弄される若者役がとてもうまい。美男子・岡田平九郎も見る人をくすぐる愛されキャラである。 ふたりの「平」に笑わされるか、泣かされるか。名場面に注目したい。
2021.05.13 07:00
NEWSポストセブン
大河ドラマの1年でどんな変化を見せてくれるか(時事通信フォト)
吉沢亮の『青天を衝け』が世界的人気の海外ドラマに学ぶべき点とは
 コロナ禍で制作は困難を極めているはずだが、今作のNHK大河の勢いはそれを感じさせない。ドラマウォッチを続ける作家で五感生活研究所代表の山下柚実氏が分析した。 * * * 期待値の高さなのか。例年より1ヵ月遅れでNHK大河ドラマ『青天を衝け』(日曜午後8時)がスタートすると、「初回視聴率が20%の大台に乗った」と話題に。報道によると綾瀬はるか主演『八重の桜』以来何と8年ぶりの快挙とか。すでに第4話まで放送されましたが、まず走り出しで鮮烈な印象が刻まれました。それは数字などではなく、贅沢な布陣による「役者を見る至福」です。 物語の主人公は……江戸・明治・大正・昭和と激動の時代を駆け抜けた「日本の資本主義の父」渋沢栄一。演じるのは若手のホープ、“国宝級のイケメン”の異名をとる吉沢亮。その栄一の妻になる尾高千代には、朝ドラ『あまちゃん』でダブルヒロインの一人として輝きを放った橋本愛。そして父の市郎右衛門に、いぶし銀役者の筆頭、小林薫、母・ゑいには和久井映見、栄一の片腕となる従兄・喜作に高良健吾が配置されていて、もう文句なしの演技派揃い。 そして第4話で圧巻の存在感を見せたのが、江戸最後の将軍・徳川慶喜を演じる草彅剛です。ただ佇んでいるだけ、横顔を見るだけで「お殿様」の威厳と品格とが伝わってくる。これを役者を見る至福と言わずして何と言いましょうか? しかも側近・円四郎に堤真一、父の斉昭には竹中直人、そして高島秋帆に玉木宏、橋本左内に小池徹平……とたまらないキャスティングで幕開けです。 印象的なのはキャスティングだけではありません。 冒頭の演出がこれまた凝っています。すでに遠い過去の人である徳川家康が堂々と出てきて「こんばんは、徳川家康です」と挨拶、幕末という時代背景について解説してくれるのですから。時を俯瞰し複雑な状況を分かりやすく整理する役回りとして、家康を登場させる手法はアッパレ。演じる北大路欣也も板についている。家康は何と最終回までほぼ毎回登場する予定だとか。 その上、解説パートで説明だけに終始しない点もすごい。例えば床に敷かれた1枚の白い大きな布が地図や国旗に変わったり、背景の松の絵のふすまが数枚のパーツとなって黒子によってひっくり替えされ移動するとたちまち外国人の顔になったり。動かしたり裏返したり上空に浮かせたり。いわば「舞台的」な演出が目を惹きます。 「舞台的」というのは、実際のモノ(例えば板や布、紙など)を使って空間をめくるめく変化させていくローテクな手法です。もし、これが「映像的」な演出となればレンズの画角や視点を替えたりCGを使って画像処理したりとなるわけですが、実際の舞台ではまさしくローテクが決め手で、その面白さを大河ドラマの冒頭に活用した斬新さがいい。 ただ、ちょっと残念な点も浮き彫りになってきました。 毎回これほど凝った仕掛けを使い、退屈になりがちな説明を上手く聞かせる工夫をしているのに……なぜか本編が始まると、またくだくだと説明的なセリフを役者に語らせてしまう。「父様は前々から武州藍を日本一にしようとたくらんでいる。来年も高めあっていい藍を作り武州藍を大いに盛り上げたいと思っている」「一橋様が将軍におなりに遊ばせばきっと乱れたこの世を立て直すことができる」「母様姉様が育てているお蚕さんは一ヶ月寝ずに繭をとって一つかみでせいぜい一文だ」 人間の関係を暗示するふとした一言や感情の機微を表すセリフよりも、どうしても状況説明が目立つ印象です。最初から全てを正しく伝えなくては、という意識を感じるのです。 しかし、視聴者は最初から正確に全てを知らなくても、時代や出来事が細かく把握できなくても大丈夫。特にこの物語は「日本の資本主義の父」という背骨が1本通っているし、役者が画面の中で活き活きと魅力的に躍動してくれれば、視聴者もついていくことができます。 今世界的に人気を博している数々の海外ドラマを見てみると、長いシーズンの冒頭の話がわかりにくいのはいわば当たり前。その多くが最初の数話を見ただけでは何を描いているのか正確にわからない。わからない部分も残しつつ、まずは登場人物のキャラクターを際立たせ固有の世界観を表現し、視聴者の方も徐々に筋立てを掴んでいく。むしろ手探りでドラマ世界に入り少しずつわかるプロセスを楽しんでいる……。 そのあたり、日本の大河ドラマももう少し学んでいいのではないでしょうか? キラ星のキャスティングなのに、役者たちにくだくだと説明を語らせるのはあまりにもったいない。しかも、脚本担当は大評判をとった朝ドラ『あさが来た』の大森美香さんです。個々の役者の魅力が際立ってくるような言葉を、ぜひたくさん書いて欲しい。期待しています。
2021.03.13 16:00
NEWSポストセブン
渋沢栄一が興して今も残っている会社 150年後の「勝ち組」「負け組」
渋沢栄一が興して今も残っている会社 150年後の「勝ち組」「負け組」
 NHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公で、新一万円札の肖像にも選ばれた渋沢栄一は数多くの企業を興した“日本資本主義の父”として知られる。【表】商社からインフラまで!現在も存続する渋沢栄一が創設に関わった企業 明治から大正にかけて約500社の起業に関わり、近代日本の黎明期を支えた渋沢関連企業。その後、分裂や合併を経て、現在もその多くがトップ企業として君臨するが、すべてが好調というわけではない。 1873年に渋沢が日本初の民間銀行として設立し、初代頭取に就任した第一国立銀行(後の第一勧業銀行)はみずほ銀行の前身だ。しかし、近年の業績ではメガバンク3行の中で後塵を拝している。『経済界』編集局長の関慎夫氏が語る。「みずほ銀行は財閥系メガバンクとは違い、第一勧業、富士、日本興業の3行が対等という理想を掲げて一緒になった。それが結果的には三すくみの状況を生んでしまった。合併直後のシステム統合問題は象徴的で、3行の中で最も優れたシステムに統合すればいいところを、3行を生かしながら連結しようとして障害が起きた。 渋沢は公益性を重視したといっても、激しいビジネス競争を否定したわけではない。社内の和を重視する姿勢が仇となった」 東京海上ホールディングス(以下、HD)の前身の東京海上保険も、渋沢が創立発起人だった。東京海上HDの2020年4~12月期の連結決算(以下、同)で純利益は1127億円で業界トップを走る。「早くから海外に進出し、外国企業のM&Aにも積極的で、同業他社に比べて海外事業が圧倒的に強い。実業家に転身後、先頭に立って海外貿易を奨励した渋沢の精神に基づいている」(前出・関氏) 製紙業界の2強は王子ホールディングスと日本製紙だが、どちらも1873年に渋沢が設立した抄紙会社が源流。しかし、2020年4~12月期の純利益はそれぞれ261億円、23億3600万円と差がついている。「ペーパーレス、テレワークの流れのなかで、王子HDは早くから印刷用紙から段ボールやパルプに主力を移したが、日本製紙は従来型のビジネスから抜けきれていない。 王子は2006年に同じく渋沢ゆかりの北越製紙(現、北越コーポレーション)に対して敵対的TOBをかけ、渋沢の商業道徳を唱えた『論語と算盤』の理念に背いているのではないかと批判されました。 しかし、製紙業界の先を見据え、現状で立ち止まらないという判断は、渋沢の『もうこれで満足だという時は、すなわち衰える時である』という言葉に通ずるものがある」(同前) ビール会社の多くも渋沢が関わっている。アサヒビールとサッポロビールは渋沢が関わった「大日本麦酒」、キリンビールは「ジャパン・ブルワリー」が源流だ。 しかし業界トップを争うアサヒ、キリンに業界4位のサッポロは大きく水をあけられている。「渋沢はビジネスの必須条件として“時期を見ること”が大事だと話しています。アサヒやキリンは社会の健康志向の高まりにいち早く対応し、糖質オフの新製品を出したり、グループ企業でサプリメントを展開した。サッポロはバブル期に不動産事業に手を出したが、その一方で“本業”の飲料の展開で後手を踏んだ印象です」(経済ジャーナリストの福田俊之氏)◆「論語と算盤」を社是に いすゞ自動車は、渋沢が初代会長を務めた東京石川島造船所が前身。乗用車から撤退して久しいが、2020年4~12月期の純利益は284億7700万円の黒字を確保している。「一時は倒産寸前に追い込まれたが、トラック事業への特化で業績が回復しました。トラックというのは社会インフラの側面が強く、鉄道やガスなど多くのインフラを育てた渋沢の理念に照らしても支えるべき事業です。会社の使命に“原点回帰”したことが生き残りにつながった」(前出・福田氏)“渋沢マインド”で企業を立て直そうとしている例もある。 清水建設は2019年にリニア談合で営業停止処分を受けた後、不振に喘いでいる。コロナ禍の工事中断の影響もあり、2020年4~12月期の純利益は前年同期比25%減だった。「現在、企業としての原点に立ち返ろうと『論語と算盤』を社是とし、渋沢の教訓を冊子にまとめ、社員はみんなそれを携帯しています」(渋沢史料館館長の井上潤氏) 企業には絶えず好調・不調の波が押し寄せる。特にコロナ禍では多くの会社が危機に直面している。井上氏は言う。「渋沢が理想としていたのは短期的な利益追求ではなく、10年先、20年先の将来をより良くするための長期展望をもったビジネスです。もし渋沢が現代に生きていたなら、このコロナ禍で人々の生活を豊かにするにはどうするべきか、必死に考えていたはず。渋沢のDNAとはパイオニア精神そのものです」 令和の“青天を衝く”のはどの企業か。※週刊ポスト2021年3月12日号
2021.03.07 07:00
マネーポストWEB
渋沢栄一「大河ヒット」の背景にSDGsと「物言う株主」あり
渋沢栄一「大河ヒット」の背景にSDGsと「物言う株主」あり
 大河ドラマ『青天を衝け』が初回視聴率20%という好調なスタートを切った。大河では長く「戦国もの以外はヒットしない」と言われ続けてきたが、今回は近代もので久々のヒット作になると期待されている。 主人公の渋沢栄一は「日本資本主義の父」と呼ばれる明治・大正期の実業家で、実に500社もの設立に関わったとされる。その多くが今も日本のトップ企業として君臨しており、主なところでは、みずほ銀行、りそな銀行、東京ガス、大日本印刷、いすゞ自動車、JR東日本、日本経済新聞、帝国ホテルなどが渋沢を源流に持つ。 なぜ今、渋沢だったのか。そして制作者の狙い通りに注目を集めたのか。そこには日本と世界が置かれている経済新時代の潮流が関係している。日本経済史・経営史が専門の國學院大學経済学部の杉山里枝・教授が解説する。 * * * 実は、渋沢への注目が一気に高まったのは5年ほど前からでした。渋沢は「企業利益だけでなく公益も同時に目指す」という考えから、事業の継続性を損なうことなく経営と社会貢献を両立させることに重きを置いていましたが、これが2015年に国連のサミットで定められたSDGs(持続可能な開発目標)と親和性の高い理念として注目され始めたのです。 SDGsは2030年までに達成すべき目標とされています。しばらくは世界中の企業がそこを目指していきますから、今後も渋沢の経営理念が実際の企業経営の指針となる可能性は大いにあると思います。特に先進国の経済発展にとっては、自社の利益追求だけではなく社会との共生に協力することが必要不可欠な時代になってきています。 渋沢は多くの企業を設立しましたが、渋沢関連企業は「特色がないのが特色」と言えます。もうひとつ当時の大企業といえば財閥系企業が挙げられますが、「人の三井、組織の三菱、結束の住友」などと称されたように、優秀な人材間のつながりや結束力が強みであり、それぞれの財閥にそれぞれの特色がありました。私も三菱の研究所にいたことがありますが、たとえば三菱にはグループ企業の社長・会長が集まる「三菱金曜会」があり、グループを一つのカラーにまとめる組織力が特徴です。一方で、渋沢は幅広い分野で起業に関わっているものの、会社の特色は千差万別です。地方企業にも多く関わったので全国的な広がりはありますが、まとまりがあるわけではない。むしろ、大手の名門企業から地方の中小企業まで、渋沢の思想や理念を受け継いで、それぞれ個性豊かに発展していったからこそ現在まで存続してきたとも言えます。渋沢は自分で設立した企業でも経営は優秀な人材に任せて、自らは相談役になるケースも多く、それぞれの経営者が個性を活かして経営し、自分はその手助けをするという考え方でした。エッセンスは渋沢が作ったものであっても、個々の経営者がそれを咀嚼して、様々な特色を持つ企業を発展させたというわけです。 渋沢の理念はゆかりの企業にも継承されています。たとえば、海外の来賓をもてなすための施設として渋沢が設立に尽力し、初代会長も務めた帝国ホテルは、2011年の東日本大震災の際に被災者支援を積極的に行いましたが、その活動も100年前に渋沢が関東大震災で行った支援活動になぞらえて評価されました。 しかし、渋沢の教えは高度経済成長期や、その後のバブル期には影が薄かったのも事実です。企業が勃興していく時代には渋沢の考えは重要な役割を果たしましたが、既存の企業が軌道に乗って力をつけていく時代には、それこそ財閥系のように組織力で動くほうが成長が著しかったのです。日本的経営の特徴のひとつが株式の相互持合いですが、まさに財閥的な手法であり、バブル期までは大いに強みを発揮しました。それに対して渋沢が目指したのは開放的な経営です。広く株主を募り、それで株主総会が紛糾すれば、すすんで調停役を買って出たのが渋沢でした。バブル崩壊後に、ホリエモンや村上ファンドが登場して「物言う株主」が注目された時代から、少しずつ渋沢への関心が高まったのもうなずけます。 渋沢は、「儲けることは下品でも悪いことでもない。むしろ社会道徳や経済の発展に役立つものだ」という価値観を持っていました。倫理と利益の両立を目指すというその理念は、現代の企業こそ見習うべき点が多いと言えるでしょう。 * * *『週刊ポスト』(2月26日発売号)では、渋沢が設立した企業の「今」と「盛衰」を専門家がそれぞれの視点で分析している。そちらもぜひご覧いただきたい。
2021.02.28 16:00
NEWSポストセブン
渋沢栄一と岩崎弥太郎 相容れない両者の競合が日本の近代化を促進した
渋沢栄一と岩崎弥太郎 相容れない両者の競合が日本の近代化を促進した
 NHK大河ドラマ『青天を衝け』が初回視聴率20.0%の好スタートを切った。主人公の渋沢栄一は数多くの企業を興した“日本資本主義の父”として知られる。彼が「明治の大実業家」となってから約150年。そのDNAは今も引き継がれているのか。【表】商社からインフラまで!現在も存続する渋沢栄一が創設に関わった企業 新一万円札の肖像にも選ばれた渋沢は、明治から大正にかけて約500社の起業に関わった。その業種は多岐にわたり、現在も200社ほどが残っている。みずほ銀行や東京電力、アサヒビールなど、日本を代表する企業が多いことも特徴だ。 渋沢の功績は、当時の日本の発展に不可欠ながら、脆弱だった産業に資金と人材を投入したことだった。渋沢史料館館長の井上潤氏が語る。「渋沢は投資する事業に公益性があるかを必ず確認する人でした。事業主の利益よりも世の中のため、多くの人々のためになる事業を優先したのです。 たとえば欧米外遊でパリを訪れた際、市民が活版印刷の新聞で情報を得ているのを見て、帰国後に製紙会社や印刷会社、新聞社の立ち上げに尽力しました。日本の社会に必要な事業を見極める先見の明がありました」◆岩崎弥太郎の誘いを拒否 渋沢としばしば対比されるのが、同時代に生きた三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎である。「岩崎とは昵懇の仲でしたが、それはあくまでプライベートな話。事業においては考え方が全く違うと渋沢本人が語っています。 岩崎は渋沢を向島の船宿に誘い、“二人で手を組めば利益をもっと上げられる”と申し入れたが、渋沢は断わった。企業の利益を最優先する岩崎と、社会への還元を重視する渋沢には相容れないものがあったようです」(同前) 2人の経営理念の違いが激しい企業戦争に発展したこともある。1880年代、岩崎率いる郵便汽船三菱が日本の海運業を独占していたため、渋沢はそれを阻止しようと共同運輸を立ち上げた。激しい競争の末、両社は共倒れが危惧される事態に。岩崎の死後、両社は合併し日本郵船となった。 國學院大學経済学部の杉山里枝教授が語る。「ドラッカーの『断絶の時代』(上田惇生訳、ダイヤモンド社)では、“岩崎弥太郎と渋沢栄一が日本の重要な産業の3分の2を作った”と称賛されています。三菱のような財閥企業と、渋沢が作った非財閥企業が両輪となって日本経済の礎が作られたという指摘です。両者の競合が日本の近代化を促進したことは間違いない」※週刊ポスト2021年3月12日号
2021.02.28 07:00
マネーポストWEB
「資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一(時事通信フォト)
”資本主義の父”渋沢栄一が「生みの苦しみ」を味わった意外な有名企業
“資本主義の父”と呼ばれる渋沢栄一は、現みずほ銀行やJRグループなど500社以上にも及ぶ企業の設立・運営に関わり、今もその6割が企業活動を続けている。だが、決して順風満帆の船出とはいかない企業も多かったという。偉人研究家の真山知幸氏が、渋沢が“生みの苦しみ”を味わった有名企業を紹介する。 * * * 現在放送中のNHK大河ドラマ『青天を衝け』の視聴率が好調だ。スポットライトが当たっているのは、2024年から新たに一万円札の顔となる、渋沢栄一である。 渋沢は1873(明治6)年、日本初の銀行として、第一国立銀行を設立したのを皮切りに、様々な会社の設立に携わった。その数は、実に500社以上にも及ぶ。 言うまでもなく、どんな会社も立ち上げには、幾多の困難を伴う。なにしろ「株式会社」がまだ浸透していない時代である。今でこそ、1万人、2万人といった社員を抱える、名だたる大企業も、生まれしときは難産であった。「資本主義の父」と呼ばれる渋沢だが、多くの会社の誕生に立ち会った産婆役を果たしたともいえるだろう。そのなかから、今回は大手2社の誕生秘話をお届けする。 渋沢栄一といえば、日本初の銀行設立など、成功例が語られがちだが、うまくいった例ばかりではない。渋沢は幕末、一橋家の家臣としてパリに随行。道中のエジプトやパリで初めて鉄道に乗車し、その便利さに衝撃を受けた。そんな経験から、渋沢は鉄道事業にも多く携わることになるが、最初の鉄道経営は実現に至らなかった。 その代わりに渋沢は、出資者の華族から「ほかに何か有望な新事業はないか」と相談されることになる。そこで渋沢が勧めたのが、海上保険だ。理解されなかった「海上保険」の事業 幕末から明治においては「荷為替」という決済システムがとられており、米が為替の役割を果たしていた。そのため、米を積んだ船が事故に遭えば、仲介業者や金融業者は大きな損害をこうむることになる。 安心して取引するためには、保険制度が必要であり、事業を興せば必ずニーズがあると渋沢は考えた。だが、華族たちはどうもピンとこなかったようだ。渋沢は、こんな疑問をぶつけられることになる。「『危険なことはするな』と一方でいっておきながら、『その危険を保険する保険会社を作れ」というのは、これくらい矛盾した話はないじゃないか」 こういわれてしまうと、なかなか保険事業の説明というのは難しいものである。何も華族たちの理解力が乏しいわけではない。教育者の福沢諭吉も、渋沢から熱弁されたが「結局、渋沢は利己主義から主張するのである」と取り合わなかった。 渋沢とともに海上保険会社を立ち上げることになる岩崎弥太郎ですら、当初は懐疑的だったらしい。こんなふうに言われたと、渋沢はのちに回想している。「どうも保険事業をはじめてみたところで、資本を出す人もなかろうし、また保険を荷物につける人も十分にあるか疑う。自分の考えでは時期尚早である」第一次大戦で保険ニーズが高まった 華族たちからしても、よくわからない事業に出資するわけにはいかないから、どうしても慎重になる。それでも必ず成功する自信があった渋沢は、「多くの人が保険に入りたい」と思ってもらえれば成り立つ事業であることを、こんな言い回しで説明した。「多数が被保険者になるかならないかが問題である。もしそれが少ないと、危険がないとはいえない。それゆえ力ある人でなければ、ここに資金を出すわけにはいかない。保険業は危険がないわけにはいかないが、新しい事業であるから将来大いに有望である」 丁寧な説明を重ねながら、最もリスクの少ないプランを渋沢は提示。納得した華族たちからの出資を得ることに成功した。 1879(明治12)年に資本金60万円をもって東京海上保険社を設立。株主には岩崎弥太郎をはじめ、三菱関係者や華族団が加わったほか、安田善次郎や大倉喜八郎などの財界人も名を連ねた。香港や上海、そして、ロンドン、パリ、ニューヨークと支店を作って順調に業績を伸ばしていく。 第一次世界大戦が起きると、海上保険に対する需要はさらに高まることになった。1918(大正7)年には、東京海上火災保険と社名を変更して、現在に至っている。 ちなみに、渋沢の保険事業にポジティブな反応をした貴重な一人が、大隈重信である。実現にいたっては、大隈のバックアップも心強かったことだろう。学問の発達も支えると考えた製紙事業「海上保険」のニーズを見事に察知した渋沢だが、目をつけた有望な事業は、ほかにもまだまだあった。そのうちの一つが、製紙業である。 明治の世を見渡すと、紙幣、新聞、雑誌と紙のニーズが必ず高まると渋沢は予見。また、製紙業の設立が、学問の発展には欠かせないとまで考えた。「印刷が便利で速いということが大いに関係してくる。では印刷の価格が安く、かつ便利で速いために必要なのは何かといえば、それは紙を製造する事業が大いに関係する」 そこで渋沢は明治5(1872)年に官営で製紙事業を行うべく、設立願書を提出。翌年の明治6(1873)年に、抄紙会社を設立した。これが、現在の王子製紙株式会社と日本製紙株式会社のルーツとなる。 工場の場所を決めるにあたっては、渋沢自ら各地を調査。その結果、工場用水にきれいで良質な千川上水が利用できることから、王子に決定した。鬼気迫る技術者とのやりとり 誤算だったのは、イギリス人の機械技師とアメリカ人の製紙技師の腕が劣っていたことだ。特にアメリカ人技師の技術に問題があった。建築した工場に最新の機械を備え付けたが、まったくうまくいかない。出てくる紙の質は劣悪で、すぐに切れてしまうのだ。 二人を雇い入れたのは渋沢である。温厚な渋沢も、いい加減な仕事には我慢ならなかった。なにしろ、この工場がうまくいかなければ、抄紙会社は倒産を迎えるばかりか、出資している第一国立銀行の経営も危なくなる。アメリカ人技師に、渋沢は詰めよった。「あなたは、経験ある外国の紙漉き技師と聞いている。だからこそ、相当な給料で雇い入れたのだ。機械も最新のイギリス製を使っている。あなたの技術に問題があるとしか、考えられない」 それでもなお、アメリカ技師は「職工が悪いのです、職工が私の命令を聞かないから」と言い訳するが、渋沢はごまかされない。「職工はあなたの命令をちゃんと聞いている。原料の製造が悪いか、とか、薬品の調合がよくないかなどに原因があるのだろう」 そういって、可能性を一つひとつ指摘。解雇も辞さない渋沢の姿勢に、アメリカ技師も腹をくくった。「一週間待ってください。それでもうまくできないなら、解雇されても不服は言いません」 一週間後、何とか製品として成り立つくらいの紙は出てきた。だが、まだまだ十分な品質とは言えない。「苦心して紙を製造してはみたが、値段が安いため、採算がとれない。毎日のように損失を重ねて、株主からは叱責される。事業は一向に振るわない。将来に希望を持っていたものの、当面の経営維持にはまったく困ってしまった」 渋沢の苦悩は続く。良質な紙が出てくるようになるまでは、1875(明治8)年の初めまで待たなければならなかったという。「理想を実現するのが人の務め」 現代では、保険の重要性を説くまでもなく誰もが理解しているし、紙は当たり前のようにスピーディに大量生産されている。だが、そんな常識が作られるまでには、渋沢の相当な努力があった。 新事業がなかなか理解されなかったり、アイデアに技術が追い付かなかったりするのは、何も明治時代に限らないだろう。今、未曾有のコロナ禍のなか、現状を打破すべく多くの起業家たちが奮闘しているに違いない。そのなかには、何年か先には大事業に成長するものもあるはずだ。 壁にぶちあたっても、仲間と知恵を絞りながら、乗り越えていってほしい。大切なのは理想を持ち、それを実現させることである。渋沢の名言で本稿を締めたい。「およそ目的には、理想が伴わねばならない。その理想を実現するのが、人の務めである」【参考文献】(1)渋沢栄一、守屋淳『現代語訳 論語と算盤』(ちくま新書)(2)渋沢栄一『青淵論叢 道徳経済合一説』(講談社学術文庫)(3)幸田露伴『渋沢栄一伝』(岩波文庫)(4)木村昌人『渋沢栄一 日本のインフラを創った民間経済の巨人』(ちくま新書)(5)橘木俊詔『渋沢栄一』(平凡社新書)(6)鹿島茂『渋沢栄一(上・下)』(文春文庫)(7)渋澤健『渋沢栄一 100の訓言』(日経ビジネス人文庫)(8)岩井善弘、齊藤聡『先人たちに学ぶマネジメント』(ミネルヴァ書房)【プロフィール】真山知幸(まやま・ともゆき)/著述家、偉人研究家。1979年兵庫県生まれ。業界誌出版社の編集長を経て、2020年に独立。偉人や歴史、名言などをテーマに執筆活動を行う。『ざんねんな偉人伝』『君の歳にあの偉人は何を語ったか』『企業として見た戦国大名』『ざんねんな三国志』ほか著書多数。
2021.02.28 07:00
NEWSポストセブン
『青天を衝け』で北大路欣也が話題 ユニーク解説者は過去の大河でも
『青天を衝け』で北大路欣也が話題 ユニーク解説者は過去の大河でも
 吉沢亮が渋沢栄一を演じ、話題を集めているNHK大河ドラマ『青天を衝け』。北大路欣也(77才)演じる徳川家康が冒頭、物語を“解説”する役割を担っている。一風変わった解説者ぶりにSNSでも話題を集めているが、こうしたユニーク解説者は今回が初めてではなかった。時代劇研究家でコラムニストのペリー荻野さんが解説する。 * * * 大河ドラマ『青天を衝け』、第一話の冒頭、突如、北大路欣也の徳川家康が出てきてカメラ目線で「こんばんは、徳川家康です」と挨拶したのには、たまげた。こんばんはって。大御所様ったら。しかも、第二話でも「鎖国してたね、なんて言われますが」と地図など広げながら、一人芝居のような熱演でまたビックリ。 家康登場には、ドラマの主人公である渋沢栄一が、東照大権現様(家康)の教えを大事にしていたこと、ややこしい幕末の情勢を家康の解説により、わかりやすく伝えようという意図があるらしい。確かに「勤皇」「佐幕」「攘夷」など、さまざまな志や主張を持つ人物や藩が入り乱れて、幕末ものはわかりにくいとも言われる。諸外国の事情もからんでくるし、解説があるのはありがたい。 実はこれまでにも大河ドラマには、ユニークな「解説者」が登場している。中には言いたい放題の解説者もいて、毎回驚かされた。 1995年の大河『八代将軍吉宗』の近松門左衛門(江守徹)。劇作家の近松は、五代将軍綱吉(津川雅彦)の時代は元禄文化全盛で活躍できたが、質素倹約路線の吉宗(西田敏行)が将軍になると、途端に締め付けが厳しくなって文句たらたら。そこでドラマとはまったく別の部屋にいる近松は、「頭の固いお役人に、一泡吹かせようと…」出てきたのである。 江守といえば、大河ドラマ『元禄太平記』で堂々たる大石内蔵助を演じた名優である。活舌抜群、押しの強さも人一倍。経済問題に苦慮した吉宗の事情について、「さて、この年は豊作なれど、皮肉にも米が余り、値がどんどん下がり申した。いわゆる豊作貧乏でござる」と声を出し、時にパネルは出すわ、表を持ち出すわ。名解説を繰り広げた。 2000年には『葵 徳川三代』の解説に水戸光圀(中村梅雀)が登場。ドラマで自分の祖父にあたる徳川家康(津川雅彦)が、天下取りの仕上げに鼻をふくらませて奮闘する最中、光圀は、真っ赤な着物に渦巻き柄の羽織など、派手ないでたちでドラマと関係なくお陽気に出てくる。「当時の諸大名の勢力を石高別に披瀝いたさん」と、壁のランキング表を見せ、「第四位は金沢84万石前田利長…」と示しながら、「そして、ぶっちぎりの第一位は、もうおわかりですな。ジャッジャジャジャーン!! 江戸260万石徳川家康公にござります」とニカーっと笑顔だ。 さらに水戸光圀といえば、『水戸黄門』として家臣の助さん格さんを引き連れての世直し旅で親しまれた人物。なんとこの解説でも助さん格さんのモデルといわれる介三郎と覚兵衛が。演じていたのが鷲尾真知子、浅利香津代、ふたりの女優で世間をあっと言わせた。『八代将軍吉宗』も『葵 徳川三代』も脚本はジェームス三木。おそるべき解説魂である。 なお、幕末の大河では、1998年『徳川慶喜』で、慶喜(本木雅弘)をよく知る町火消し「を組」の頭の女房おれんがいい味を出した。江戸っ子言葉で解説をするおれんにかかれば、西郷隆盛と勝海舟が会談し、江戸城無血開城が決まった劇的な出来事も「手打ちになったってわけだ」となる。庶民目線が新鮮だった。『青天を衝け』では、今後、芝居心たっぷりの家康がどう解説してくれるのか。北大路家康は、なんだかうれしそうだし、次に何をしてくれるのか?楽しみになってきた。
2021.02.24 07:00
NEWSポストセブン
JR四国の観光列車「藍よしのがわトロッコ」。外観は特産の「阿波藍」をモチーフとし、2両編成のうち1両がトロッコ仕様。地元の食材を使った駅弁(要予約)を食べることもできる(時事通信フォト)
JR四国の新観光列車「藍よしのがわトロッコ」 大河人気にあやかれるか
 NHK大河ドラマの題材が決まると、どんな小さな繋がりであっても、地域の観光と結びつけることが多い。2021年大河ドラマ『青天を衝け』についても、吉沢亮が演じる主人公・渋沢栄一が歴史に残した数多くの関連事物にちなんだものが日本全国に存在している。ライターの小川裕夫氏が、なぜ、渋沢栄一が財を成した藍染産業とゆかりがある観光列車をJR四国が走らせ、京都鉄道博物館で展示することになったのかレポートする。 * * * 2月14日から始まった大河ドラマ『青天を衝け』は、初回視聴率20.0パーセント(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録。戦国時代の武将や幕末の志士を主人公にしなければ視聴率はふるわないという前評判を覆した。『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一の生家は藍玉生産や養蚕を家業とする富農で、帯刀も許されていた。タイトルにある”青天”は渋沢が詠んだ漢詩を由来としている。また、渋沢の雅号も”青淵”で、これは藍玉にちなんでいるともいわれる。作中では藍玉づくりに勤しむシーンがたびたび出てくるだけに、”藍”は『青天を衝け』のキーワードでもある。 現在、藍染めの衣料品は一般的とは言い難い。現代人にとって、藍玉生産で財を築いたと言われてもピンとこないだろう。しかし、江戸から明治までは藍染めの衣料品は広く流通していた。 渋沢家と同様に、藍で財を築いたのが徳島藩だ。徳島は誰もが知る阿波踊りで有名だが、歴代藩主の蜂須賀家は藍の販路を拡大する目的で、阿波踊りを奨励したともいわれる。阿波踊りが流行すれば、藍染めの浴衣や着物がたくさん売れるからだ。 藍と徳島県の深い関係は、現在もつづいている。JR四国は昨年から観光列車「藍よしのがわトロッコ」運行を開始した。列車名の「藍」は徳島県名産の藍、「よしのがわ」は四国三郎の異名を持つ徳島県民には身近な河川のことだ。「JR四国はキハ185系を各路線で運行していますが、それらをリニューアル改造して観光列車としても運行しています。『藍よしのがわトロッコ』は、2019年まで土讃線の高知駅-窪川駅間で運行されていた観光列車『志国高知 幕末維新号』として走っていた車両です。一般車両として走っていたキハ185系をリニューアルして新たな『志国高知 幕末維新号』を走らせることになったので、旧『志国高知 幕末維新号』を『藍よしのがわトロッコ』へ再リニューアルすることになったのです」と複雑な経緯を説明するのは、JR四国営業部ものがたり列車推進室の担当者だ。 地方都市は鉄道の通勤需要が小さく、観光需要に頼らなければ鉄道会社の経営を維持するのは難しい。観光需要で売り上げを拡大させる方針から、JR四国は観光列車を続々と誕生させて利用者の掘り起こしを図った。 2014年に予讃線で観光列車「伊予灘ものがたり」を、予土線で新幹線0系にそっくりな「鉄道ホビートレイン」の運行を開始。これらが好評を博したことから、JR四国は2017年に土讃線を走る観光列車「四国まんなか千年ものがたり」の運行も開始している。「鉄道ホビートレイン」はキハ32形という車両を改造したが、JR四国が運行する観光列車の多くはキハ185系という車両を改造して使っている。「藍よしのがわトロッコ」もキハ185系を、徳島にちなんだ阿波藍を想起させるカラーリングへと変身させた。「冬季は運休になりますが、『藍よしのがわトロッコ』は3月27日から春季の運行を始める予定です。このほどJR西日本からリクエストをいただき、運休期間中の2月20日から3月14日まで京都鉄道博物館で展示することになりました」(同) 徳島藩最後の藩主・蜂須賀茂韶はスーパーリッチ大名で、明治新政府発足後も政財界で存在感を発揮した。渋沢と蜂須賀茂韶は藍で財を成したという共通点があるだけではなく、明治以降にビジネスパートナーとして強い協力関係となった。そして、日本鉄道(現JR東日本)や喜賓会(現・JTB)といった多くの事業を一緒に取り組んでいる。「今のところ、JR四国が『青天を衝け』関連の観光列車を運行する予定はありません。しかし、『藍よしのがわトロッコ』には観光・沿線のガイドさんも同乗します。『青天を衝け』関連の説明を付け加えるといった工夫やお土産の販売といった企画は、今後の課題として検討するかもしれません」(同) 大河ドラマは一年を通じて放送されるため、ゆかりのある地域は大河ドラマをまちおこしの起爆剤として活用する。前作『麒麟がくる』でも、明智光秀とゆかりのある地域は積極的にPRをしていた。そして、大河ドラマをきっかけに新たな観光地が見出されたりもしている。 新型コロナウイルスの感染拡大により、昨年来から全国的に鉄道需要は減退している。東京圏・大阪圏といった大都市圏は通勤需要があるので、地方都市に比べれば需要は維持できている。 一方、地方の鉄道は観光需要に頼ってきた。それが、新型コロナウイルスの感染拡大で苦境に追い込まれている。それだけに、好スタートを切った『青天を衝け』と渋沢に期待を寄せる鉄道業界関係者や観光業界関係者は少なくない。
2021.02.21 07:00
NEWSポストセブン
眼福大河『青天を衝け』 令和を代表する男前な俳優たちが勢揃い
眼福大河『青天を衝け』 令和を代表する男前な俳優たちが勢揃い
 第1回「栄一、目覚める」は視聴率20%(ビデオリサーチ調べ)と好スタートを切り、初回から注目度の高さがうかがえる今年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』。幕末以降、新たな時代を迎えた日本の経済に尽力し“日本資本主義の父”と呼ばれるまでになった実業家・渋沢栄一の物語が展開されていく。 そんな今作は記念すべき60作目でもあり、令和の“顔”になるイケメンが多数出演! “眼福大河”で躍動する豪華な顔ぶれと人物像を紹介しよう。●渋沢栄一=吉沢亮(27才)「近代日本を作りあげた立役者」 1840年、現在の埼玉県深谷市の豪農に生まれる。幼少時から「論語」など学問に勤しみ、20代で一橋(徳川)慶喜に仕え、欧州へ。帰国後は大蔵省を経て、第一国立銀行の総監役に。多数の企業育成、教育機関や社会公共事業の支援を行い「日本資本主義の父」と呼ばれるように。●渋沢喜作=高良健吾(33才)「栄一の生涯の相棒」 1838年生まれ。従兄であり幼なじみの栄一とともに一橋家に仕え、幕臣に。将軍慶喜の奥祐筆、彰義隊頭取などを務める。大蔵省入省後、ヨーロッパ留学を経て、小野組糸店に入社。その後は実業家として活躍する栄一の生涯の相棒。●尾高長七郎=満島真之介(31才)「劇中だけでなく撮影でも主演を支える“お兄さん”」 1838年、尾高家の次男として生まれる。家業を切り盛りする兄に代わり、早くから江戸に出て儒学を学び、剣術「神道無念流」の指南を受け剣豪となる。従弟の栄一とは「竹馬の友として特に親交を重ね、互に文武を研鑚した」とされている。●尾高平九郎=岡田健史(21才)「維新のイケメンを令和のイケメンが演じる」 1847年、現在の埼玉県深谷市で村役人を輩出した豪家・尾高家の末子として生まれ、文武両道の心優しい青年に成長。のちに従兄である栄一の見立て養子になる。幕府崩壊の動乱に巻き込まれ、22才で自刃という非業の運命を……。●高島秋帆=玉木宏(41才)「貪欲に西洋砲術を学び“高島流砲術”を確立」 1798年、長崎の町年寄の家に生まれる。町年寄や鉄砲方を務めるかたわら、広く蘭学を修め、特にオランダ人を通じて砲術を研究。のちに西洋式の高島流砲術を生み出し、江戸幕府に西洋式の兵術・砲術を紹介。日本の西洋式兵学の先駆者。●五代友厚=ディーン・フジオカ(40才)「5年越しの“五代様”再び!」 1836年、鹿児島生まれ。オランダ海軍士官より航海や砲術、数学などを学んだ後、欧州に留学。帰国後は外国事務局判事として大阪在勤に。退官後、大阪商工会議所の初代会頭などを務め、大阪の退勢挽回に奔走。「大阪の恩人」と呼ばれた。●土方歳三=町田啓太(30才)「武士よりも武士らしくが信念の“鬼の副長”」 1835年、家伝薬を副業とする裕福な家の末子として生まれる。11才から奉公を重ねた後、家業の行商販売を続ける。25才で「天然理心流」に入門し、実践的な剣術を磨く。その後「新選組」の副長となり、将軍警護で力を発揮する。●徳川家茂=磯村勇斗(28才)「勝海舟に才を惜しまれた聡明な将軍」 1846年、御三家の1つである紀州藩の第11代藩主・徳川斉順の次男として江戸の紀州藩邸で生まれる。わずか13才で江戸幕府の第14代将軍に就任。幕府の最高責任者として職務を全うしつつ、 21才の若さで病死する。●橋本左内=小池徹平(35才)「西洋学をいち早く教えた先見の明」 1834年、福井藩お抱えの医者の長男として生まれる。漢方医学を学び、15才で「啓発録」を書く。藩医となった後も医学以外の西洋学問を学び、藩主の警護を経て学校教師になった際には、当時の最先端だった西洋学を教えた。●阿部正弘=大谷亮平(40才)「25才の若さで老中に就任した切れ者」 1819年生まれ。福山藩7代藩主。25才で江戸幕府老中となり、27才で老中首座(現在の総理大臣)に就任。人材育成や身分によらない教育にも注力した。1854年、ペリーと日米和親条約を締結し、約200年続いた鎖国を終わらせた。※女性セブン2021年3月4日号
2021.02.19 19:00
女性セブン
吉沢亮は爽やかな好青年だが…(時事通信フォト)
吉沢亮が作る渋沢栄一の「爽やかで美しい」人物像に違和感ないワケ
 臨床心理士・経営心理コンサルタントの岡村美奈さんが、気になったニュースや著名人をピックアップ。心理士の視点から、今起きている出来事の背景や人々の心理状態を分析する。今回は、NHK大河ドラマ『青天を衝け』で渋沢栄一を演じる俳優の吉沢亮(27才)について。 * * *「渋沢栄一ってこんなにイケメンでしたっけ?」と、思わずググッてしまった。「近代日本経済の父」、「日本資本主義の父」と呼ばれ、2024年に新1万円札の顔になる渋沢栄一だが、どんな人物像なのか、どんな外見だったのか確固としたイメージが無かったからだ。 近現代を舞台に渋沢栄一を描いたNHK大河ドラマ『青天を衝け』が2月14日にスタートした。渋沢を演じるのは吉沢亮。NHK連続テレビ小説『なつぞら』では、ヒロインの幼なじみ、山田天陽役が話題となったが、私的には2019年に公開された映画『キングダム』での若き王・えい政と奴隷の少年・漂の1人2役を演じ、心の内に影を持ちながらも真っ直ぐに生きていこうとする姿が印象的だった。 今回の大河ドラマでは、「渋沢栄一でございます!」と叫びながら登場。馬に乗って駆けてくる草なぎ剛演じる徳川慶喜らの前に飛び出すのだが、その顔がなんとも清々しく美しい。アップで映し出されようものなら、まつげの長い憂いを帯びたきれいな目が、真っ直ぐにこちらを見据えてくる。演技もさることながら、その顔がその声が、醸しだす雰囲気が、聡明で凛とした芯の強いイケメンという渋沢栄一のイメージを作り上げていく。 これまで渋沢栄一を演じた人は誰だろう。記憶をたどってみるが思い浮かぶ俳優はいない。だからなのか、渋沢という人物に対する先入観はゼロに等しい。新1万円札もお目見えするのは約3年後。日常的に渋沢栄一の顔に接するのはまだ先のことだ。額の広い、やや大きめのしっかりした顔で小柄な体格だったということは、世間的にそれほど認知されていない。吉沢演じる渋沢には、先入観もなければ違和感も感じない。“こんなイメージ”という「ステレオタイプ」が渋沢栄一にはないのだ。 先日終了したNHK大河ドラマ『麒麟がくる』では、織田信長役を染谷将太が演じたが、当初は「イメージが違う」と散々酷評された。織田信長といえば体格が良く、猛々しさと激しさを持つ男性的な魅力のあるイメージが浸透しているからだ。小柄で丸顔、低く太い声でもない染谷は、信長の固定観念を覆すような配役だった。蓋を開ければ、回を重ねるごとに染谷の演じる信長に魅了され、違和感は無くなった。が、それでも信長に対して人々が持っているステレオタイプのイメージは、以前のまま変わらない。『青天を衝く』では冒頭、徳川家康を演じる北大路欣也が登場し、ドラマの時代背景を解説した。時代劇でよく描かれる家康にもステレオタイプがある。「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」という名言があるように、忍耐強く厳しく、したたかで緻密な戦略家というイメージが一般的だ。『麒麟がくる』では、若かりし頃の徳川家康を風間俊介が演じたが、やはり北大路の方がしっくりぴったりくる。 その意味で、ステレオタイプのない渋沢栄一という人物のイメージを作るのは吉沢亮になるだろう。第1回の平均世帯視聴率(ビデオリサーチ調べ、関東地区)は20%と幸先の良いスタートを切り、注目度も高い。これから1年、渋沢という名前を聞けば、多くの人が爽やかで美しい吉沢亮の顔が浮かべるようになるだろう。新1万円札を目にした時、「えっ渋沢って本当はこんな顔してたの?」と、吉沢の顔を思い出し驚く人が続出するかもしれない。
2021.02.19 07:00
NEWSポストセブン
一橋大学(時事通信フォト)
新大河の主人公・渋沢栄一 教育、福祉など参加した事業は約600
 2月14日にスタートした2021年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』は、“日本資本主義の父”と呼ばれる渋沢栄一が主人公だ。渋沢は、江戸末期から明治へと大きく変化する時代に、民間の実業家として多くの企業の設立にかかわった。さらに、の教育事業や医療福祉、公共事業にも多数参加。その数は約600にものぼる。国づくりを経済だけでなく、学びや福祉の面でも支えたのだ。そこで、渋沢が関わった教育や福祉に関する公共事業のなかから、代表的なものを紹介しよう。経済人育成を推進国による経済人の育成が必要と考えた初代文部大臣・森有礼の動きに賛同し、一橋大学の前身となる私塾商法講習所を援助した。女子教育という先見の明数多くの教育事業の中でも特に注力したのが女子教育。日本女子大学の創立委員に名を連ね、第3代校長も務めた。センター内には銅像が1879年、明治維新後に急増したホームレスや孤児を保護するための施設として病院、孤児院、養老院などの機能を持った養育院の初代院長に。現在は東京都健康長寿医療センターとして高齢者医療や老年学研究の拠点に。皇室との縁も深い日本を代表する病院1874年、宣教医師によって東京・築地に建てられた健康社築地病院が1901年に聖路加病院となり、渋沢が設立にかかわった。※女性セブン2021年2月18日・25日号
2021.02.15 16:00
女性セブン

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