芥川龍之介の居住跡地。隣接地が売りに出されたため北区が購入。同地には芥川龍之介記念館が計画されている
同じ北区に居住していても渋沢は王子、芥川は田端と離れているが、資本主義の父・渋沢と文豪・芥川は意外にも牛乳という共通点でつながっていた。
また、芥川をはじめとする田端文士村の面々は上野にある東京美術学校に足を運ぶことが多く、上野駅を頻繁に利用した。渋沢と芥川が、上野駅でバッタリ出くわすことだって考えられる。
渋沢は園遊会を催して、田端文士村の作家や芸術家たちを招待することもあった。新進気鋭の芥川はイキっていた時期だったこともあり、渋沢の宴に出席することはなかった。
しかし、芥川が結婚披露宴をあげ、文士仲間と親睦会を開いていた行きつけの料亭は、渋沢も贔屓にしていた。2人が料亭でたまたま顔を合わせることがあったかもしれない。
渋沢は500を超える企業と600を超える非営利団体など、多くの事業を興した。それらの企業や団体は合併などを経ながらも現在まで活動を続けている。渋沢とつながっているのは、文豪・芥川だけではない。実のところ何気なく暮らす私たちと、「日本資本主義の父」や「社会事業家」と称される渋沢は接点を持っているといえそうだ。