山田裕貴が新たな一面を見せる
そこに強制的な関係はないか。複数の男子の相手をしていたいち子(茅島みずき)は、最後にとうとう「本当は嫌だ」と口にする。
あるいは、「いい先生になりたい」と熱く願う生徒・谷口恭一(池田優斗)に対して、高柳が突きつけたのは老子の言葉。
「善なる者は吾れこれを善しとし、不善なる者も吾れまたこれを善とす。徳は善なればなり」
その意味について高柳は、「相手が善人であるから救い、悪人ならば救わない。もしあなたがそうだとすれば、いつかいじめっ子をいじめてしまう先生になるかもしれません」と言う。
善いものと悪いもの。それは暫定的に決めた線引きに過ぎず、善も悪もその境界線は見えない。物事の本質とは何なのか、自分の頭で考え目の前にある「常識」を疑え、と迫ってくる。他人が差し出してくれる答、つまり救いなんてそもそも最初から存在していない。自分の中に出口を探ることが倫理と言わんばかりの、突き放したクールさが光っています。
第2話では孤独を抱えた少年が、誰かと寄り添う感覚を感じとるという不思議なシーンを、たった30分間で描き出していました。答を用意しないドラマが一つくらいあっていい、そう思わせてくれる作品。それは同時に、「すぐにわかることは、すぐに忘れてしまう」と、無言で語っているかのようです。