ブラジルでのサッカー観戦(山村さん提供)
「薄暗くて人工呼吸器と警告音だけの部屋で夫はとてもつらそうでした。そこでPCR検査を受けて、『絶対にほかの誰かと会わない』『家と病院との往復だけしかしない』という約束をし、個室で付き添いを始めました。これは病院側の特別な計らいでした。
それからは朝の5時に起きて夫が溺愛している2匹のワンコ(シェットランドシープドッグのカレンちゃんとセリーナちゃん)の散歩をして、ワンコを預けて朝7時から夜の7時まで夫と一緒にいました。
帰りがけ、エレベーターの扉が閉まると涙が止まらなくなって、病院のロビーで声をあげて泣いてしまう日もありました。51日間、太陽も見られない状態で、翌日また病室に戻るというのは……、大変だったかな。
人工呼吸器を外せればラウンジまで降りられるので、外からワンコの顔を見せてあげることもできたと思いましたが、ベッドから起きられなくなって、最初のうちはできていた筆談もできなくなって。
でもね、私はずっと『これからよくなる』『奇跡は起きるんだ』って最後の最後の一瞬まで思ってたんです。
病室では、とにかく明るく振る舞いました。『スペインにサッカーを見に行こうね』『ニューヨークにも戻ろうね』『カレンとセリーナを連れてフェリーで北海道に行こうね』などと先々の予定について話しかけました。
がんが治るっていう帯を夫に巻いてみたり、教えてもらった古代文字を唱えてみたり。夫はこういうことをあまり信じていなかったようですが(苦笑)、藁にもすがるとはこのことだというカンジで、必死でした。若い頃、夫と一緒に聴いた曲を流したり、私が歌ったり踊ったことも。
だから、お医者様から少しでもマイナスなことを言われると、ものすごく反発していました。『皆さんは、私が夫を看取るためにここにいると思っているかもしれませんが、私は夫を治すためにいるんです』と声をあげてしまったこともありました。
そうしたら、病棟の看護師長さんが『わかりました。私もそう思うようにします』って言ってくださった。
そんなお医者様や看護師さんから『今日は病室に泊まってください』と言われたのが12月18日でした。まだ奇跡は起こると思っていた私は、どんどん下がっていく夫の心拍数や酸素量のメーターを見ながら『こんなこと、おかしい! おかしい!』って病院中に聞こえるぐらい叫び続けました。そうすると心拍数も酸素量も戻るんです。でも続かなかった。
奇跡は起こりませんでした」