悲しいだけ、苦しいだけ、つらいだけでいられたのは、幸せなことだった
病院で御家族を送ったかたはおわかりだろう。どれだけ近しい身内でも病室に長居することは許されず、御遺体はすぐに霊安室へ。病院によっては出入りの葬儀社があり、通夜・告別式まで、怒涛のスケジュールが伝えられるのだ。
「私も皆さんから聞いてはいましたけれど、本当にそうなんですね。葬儀コーディネーターのかたからレールにいきなり乗せられて、すごく急かされましたね(苦笑)。コロナ禍ですし、密葬か家族葬を考えていました」
だが、翌朝の早朝6時台には、アナウンサーの同期だった土井尚子さん(現姓・坂野。『ネイルクイック』の株式会社ノンストレス代表取締役)や、宅間さんと同期の永山耕三さん(『東京ラブストーリー』『愛という名のもとに』など大ヒットドラマを数多く演出した現・第1制作センターエグゼクティブディレクター)から電話が入る。永山さんは「たくさん問い合わせも入ってるよ。宅間は、あれだけ派手なこと、いっぱいやったんだから、派手にやれ」と。土井さんはエグゼクティブキャリアウーマンらしく、「この葬儀屋さん、安い」「このお寺、明日、空いてる」とすべて段取りをしてくれ、永山さんは喪服の手配もしてくれたという。
「結婚前、夫も含めて仲よしグループだった遠藤龍之介(フジテレビ社長)も連絡をくれて、みんなが夫の通夜・告別式のために動いてくれたんです。私は女優として主役を演じていたとしても、常に周囲に目配りをしていないとダメなタイプなんですが、あれだけ何も考えずに、悲しいだけ、苦しいだけ、つらいだけでいられたのは、幸せなことだったと思います」
傷心の山村サンを支えた錚々たる面々。それもそのハズ、夫の宅間さんも、フジテレビの敏腕プロデューサーとして『もう誰も愛さない』『ヴァンサンカン・結婚』『29歳のクリスマス』などのドラマや、映画『GTO』や『ウォーターボーイズ』など数え切れないほどの作品を担当。
2015年にフジテレビを退社し、制作会社『サンダーストームエンターテイメント』のCEOを務めた。
果たして宅間さんの通夜・告別式には、藤原紀香サン、内田有紀サン、長谷川京子サンら「宅間組」の女優さんをはじめ、元同僚やテレビ関係者ら400人以上が参列。山村サンは喪主を立派に務め上げた。
「私はレストランに行くのも、趣味のサッカー観戦旅行や中国ドラマを見るのも、つねに夫と一緒だったんです。でも唯一、干渉し合わなかったのが仕事だったんですね。だから『宅間さんがいなかったら、いまの私はいないんです』と声をかけてくださるかたが多かったときには、へ〜と思うと同時に、とっても誇らしかった。紀香さんは号泣してくださいました。
それと、これも尚ちゃん(坂野尚子さん)のお陰なんですけど、フジテレビの女子アナのグループLINEで後輩たちに葬儀の連絡をしてくれたんです。そうしたら『私、手伝えます』『○時〜○時OKです』って、入れ代わり立ち代わり大勢集まってくれて。なかには再婚報道直後の河野景子や、忙しくしている長野智子や近藤サトが受付に立ってくれたときには驚くやら有難いやらでした」