夫がいなくなって 私は不自由になってしまった
実は私は山村サン宅の超ご近所に住んでいて、犬友でもあるし、1980年社会人デビューの同期でもある。当然、夫妻がどれだけ仲よくしていらしたかも知っている。だから山村サンが絶望なさるのも無理はないと思うと同時に、心配でたまらないのだ。
「ごめんなさいね。喪主の挨拶のときには思わず、『生きていたくないし、どうやってこれから生きていこう。もうイヤだ……って実はホントに思ってます』と言ってしまったのよね。本当に何もかも2人一緒だったので、いまはパカ~ンって体を半分に切り裂かれてしまったような感覚なんです。
夫が旅立って1か月以上が経っても嗚咽したり泣いてばかりいました。『いまは泣いていいんだよ』って言ってくださるかたもいるし、『泣けばスッキリする』とも聞くじゃないですか。でも、あまりにも長時間、泣きすぎていると、本当に胸が苦しくなってしまう。これも初めての経験でした。
だから『泣かない』って決めて、いまは泣かない毎日というのをほんの数日ですけれどトライしています。夫との楽しい日々さえいまは思い出さないように、できるだけほかのところに目を向けて一生懸命、やってます。
誰かが傍にいてくれるわけでもないし、ワンコもすごく心配するのでね。
宅間秋史は人を自由にする天才だったと思います。だから私も、いつも自由で子供のような気持ちで過ごすことができた。夫がいなくなって……、私は不自由になりました。でも、本当にたくさんのかたが温かい言葉をかけてくれて、あ、これは夫からのメッセージなんだと思いました。
生きるってことは前を向くこと。
そして、人っていうのはこんなに優しいものなのかと。自分の心が傷だらけになればなるほど、人の優しさや思いやりがわかるし沁みるんです。
でもやっぱりツライ。ツライのに、やらなければならない事務的な作業が膨大にある。度々、折れています。
いま、次の一歩がなかなか踏み出せないけど、踏み出さなきゃ……と、思い始めています。皆さんから、たくさんの言葉をいただいた以上のことをやっていかなきゃと思おうとしている自分もいます。これまで全然そんなこと思えなかったんだけれど、いま話しているうちに気持ちが整理できたり、新たに考えられるようになったりするから不思議ですね。自分を叱咤激励する機会をいただきました。
数年前、私と同じように子供がいなくて、ワンコと御夫婦だけだった知人が御主人を亡くされたとき、どんなにおつらいだろうと心を寄せたけれど、そのときに想像した悲しみや苦しみの比ではなかった。一方で、『一人って、いいわよ~』『一人を楽しまなきゃ』と言ってくださるかたもいるんだけれど……、そうよね、私も何年か経ったときに『いま、私、楽しいのよ』って言えるといいなぁ。
あとね、『幸せすぎたのよ、あなた』『御主人に幸せにしてもらいすぎたのよ』とおっしゃるかたもいました。そうだったのかもしれませんね。
実はいま、鏡に向かって、おまじないのように唱えている3つの言葉があるんです。それは『楽しい』『うれしい』『気持ちいい』。『騙されたと思って、泣きながらでもいいから試してください』と教えていただいて。
これ、けっこう効いてると思います」
そこに、話を聞き始めた135分前とは明らかに“現れ”が異なる山村サンがいた。宅間秋史さん、どうか美智サンを見守っていてください。
【プロフィール】
山村美智(やまむら・みち)/1956年、三重県生まれ。1980年にアナウンサーとしてフジテレビ入社。『オレたちひょうきん族』の初代アナウンサーなどを務める。1985年に退社しフリーに。女優として舞台やドラマでも活動。
取材・文/山田美保子
『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)などを手がける放送作家。コメンテーターとして『ドデスカ!』(メ~テレ)、『アップ!』(同)、『バイキングMORE』(フジテレビ系)、『サンデージャポン』(TBS系)に出演中。CM各賞の審査員も務める。
※女性セブン2021年2月18日・25日号