教訓を心に刻みたい(時事通信フォト)
一軒一軒、逃げ遅れた人はいないか確認して回り、地域の人の避難も完了。自宅に寄り、持っていく物がないか考えながら、ふと窓の外に目を向けると、異様な光景が飛び込んできた。防潮堤の上に船が見えたのだ。
「一瞬、何が起きているか理解できませんでしたが、次の瞬間、階段を駆け下りて車に飛び乗りました。あのとき、窓の外を見ていなかったらと考えるとゾッとします。この光景は10年経っても忘れられませんし、今後も忘れてはいけないと思っています」
叔父の家に着くと、“津波が来た”という叫び声があちこちから聞こえたが、ゴーッという轟音にかき消された。家の後ろの山に駆け上がると、ついさっきまで佐藤さんがいた場所はもちろん町ごと津波にのみ込まれ、黒煙が上っていた。自宅も養殖場も船もすべて流された。
「私たちはただ津波が引くのを待ちました。その間も余震が何度も襲ってくる。娘を抱きしめながら“大丈夫”と自分に言い聞かせていました」
津波の動きが止まり、引き波に変わりだしてから、情報と支援物資を求め、山を下り近くの中学校へ移動した。
この日から約2か月の避難所生活と8年半の仮設住宅生活が始まった──そして現在、災害公営住宅に暮らし、防災士に転職。地元の復興と防災対策の普及に努めている。
●被災の教訓
・防災グッズは必要なものを必要な分だけ自宅にストック。無理に持ち歩かなくてもOK!
・津波の可能性がある地域なら、地震後すぐ逃げる
・安全が確認されるまでもとの場所に戻らない
【プロフィール】
佐藤一男さん/避難所運営アドバイザー・防災士。避難所の運営にも携わる。震災後、海がこわくなり、漁師を廃業。2014年に防災士の資格を取得。
取材・文/鳥居優美
※女性セブン2021年3月25日号