その頃、ブログのユーザーとYou Tubeのユーザーは、あまり被っていませんでした。そこでYouTubeを始める前からやっていたブログが、動画になったらどういう伝わり方・伝え方になるんだ、というふうに考えて、You Tubeを始めたんです。「ブログから動画に表現の場が変わった」という感覚でした。
大切にしていたことは、どんどんスマホが当たり前のものになっていく時代に、AppBankがメディア企業として何をするか。特に私たちにとってキーアイテムだったのが、大ヒットしていたスマホゲーム『パズル&ドラゴンズ』の紹介・攻略コンテンツだったんです。
上場直後の大炎上。地獄のなかで反省した「組織づくり」
――パズドラコンテンツは、全盛期には数百万再生も当たり前。しかし上場直後に炎上騒動があり、再生回数は激減していきました。当時を振り返り、思うことはありますか。
反省していることは、組織面でたくさんあります。YouTubeで動画を作る社員はクリエイターであることが求められますが、AppBankという会社の中で動画に関わっている人は本当に一部で、全体では小売りに関わっている人が多かった。そうした大多数の社員と、“個”を要求される社員と、会社との整合性が取れませんでした。
会社で長くサラリーマンとして働いてきた私は、YouTubeがこんなに個に依存して、個に収益をもたらすものになるとは当時思っていませんでした。インセンティブをきかせるといった発想もなく、給料の払い方が不勉強だったなと本当に思います。今では当たり前ですけど、私が古い考えだった。もし、クリエイターとして評価する制度を作ることができていたら、AppBankという会社が置かれている状況も、変わっていたと思います。
正直なところ、炎上の影響で、その後3年間は将来の展望を考える余裕がありませんでした。AppBankという会社において、〈マックスむらい〉がもたらす収益は柱だったので、私がどんな炎上にまみれようが、カメラに向かってコンテンツを作り続けることが至上命題。他のことに対してケアする時間がなくて、それが結局、会社の低迷を長引かせている大きな原因の一つだと思います。
もちろん、もっと早くこうしたらとか、反省はたくさんあります。ただやはり、会社として自分は経営側でもありながら、クリエイターでもある。そのバランスをとる難しさはありました。黎明期に、ある意味トッププレイヤーとして走ってしまい、経営者目線で動画やクリエイターを冷静に見ることができなかったのが、一番の敗因です。
市場の変化のスピードが速すぎて、一緒にやっていたメンバーがどんどん個としても立っていく中で、組織を設計しきれなかった。だから端からクリエイターは外出しすべきだった、と私は思っています。そこで、昨年5年ぶりに社長復帰したときに会社で挙げた目標が、〈脱マックスむらい〉でした。