一方、母に日舞を習わされ、剣の扱いにも慣れていた彼には一つ、いかんともしがたい弱点があった。他人との接触だ。幼い頃、伊吹は父に言われたのだ。〈触るな、汚い〉と。
その言葉がトラウマになり、ある時、女子高校生のファンを突き飛ばしてしまった彼は、芙美と謝りに行くことに。初めて赤の他人相手に言葉を尽くし、理解してもらうこともできたが、そうやって頑なな主人公が少しずつ自分を解き放ち、根っからの善人である慈丹たちと芸道に精進する成長譚かと思いきや、そう甘くないのが遠田作品だ。
詳しくは書けないが、姉弟を悩ませ続けた両親の態度も、父や朱里の死も、全ては彼らの出生の秘密に端を発していたのである。
全てをねじ伏せる強靭さを宿せたら
元々大衆演劇の演目には歌舞伎や文楽でおなじみの古典も多く、例えば泉鏡花原作『滝の白糸』の粗筋を慈丹から聞かされた伊吹は、〈とんでもなく濃い話だ〉とポツリ。それをそのまま遠田作品評にしたいほどだが、他にも『牡丹灯篭』や『三人吉三廓初買』など、時代を超えて愛され、練り上げられた物語の強靭さが、この生々しく普遍的な人間ドラマに確かな色を添える。
「出生云々の話はテレビドラマの『赤いシリーズ』(1974~1980年)の影響もあったり、慈丹の熱血な感じは『スクール・ウォーズ』(1984年)ですかね(笑い)。私自身は本の影響が強いんですが、長い時間をかけて生き残った物語やお話に、元々憧れがあるんです」
結婚後は専業主婦として育児や介護に追われ、母を看取り、娘達も成長すると何もする気力がなくなった。
「燃え尽き症候群でした」