1961年に大映ニューフェイス入りした俳優・藤巻潤は、対照的な二枚看板の様子を語る。
「どちらとも共演していますが、雷蔵さんは撮影15分前に現場入りしてひなたぼっこして待つのに対し、勝さんは役者がみな揃ってから遅れて現われる。撮影が終わればみんなを連れて飲んで演技談義やバカ話を好む勝さんに対し、雷蔵さんは盆と正月に俳優だけでなく大工や事務スタッフにまで浴衣を贈ってくれる。性格の違いがはっきりしていました。
撮影現場でも、雷蔵さんは監督に要求された中で最高の演技を追求しますが、勝さんは監督や共演者に思いついたアイデアをどんどん言ってくる。『藤巻、5~6人で返事をする場面はお前だけ考え込んで遅れて返事をしたらどうだ』と。その通りにしたら事情を知らない監督から『藤巻さん遅れないでください』と叱られました(笑い)」
市川雷蔵は1969年に37歳で急逝。当時すでに勝は独立しており、二枚看板を失った大映はその2年後に倒産した。
※週刊ポスト2021年4月16・23日号