そういうときに自分を支えるのは、根拠のない自信です。私はそれまで、学校の日直とか、学芸会以外に人前に立ったことがない人間でした。その学芸会でも農民Bとか、一言あるかないかの端役です。クラスでも無口な方で、友達も少ない。恋人もずっといない。仕事も1日だけの引っ越し屋のバイト以外はしたことがない。これ誰がどう客観的にみても、喋りの商売の講談師で、うまくいくとは思えません。
なるほど。講談界に入門しても、前座4年半は地獄でした。今考えると、前座をさせていただいたのですが、ありがたみは後になって分かるもの。前座は高座より、楽屋仕事が主な仕事です。師匠方のお世話をして、どれだけ気を使えるかのレースなんです。着物の着付け、たたみ、太鼓の上手さ、気働きの連続で。私は今まで人付き合いもろくにしてないですから、そこでも活躍できず。いわゆるFランク前座でした。
ある時、中堅の真打から寄席に電話があり…
「誰かそこに前座いるかな。誰がいる」
「誰それがいます」
「あー、そうか。他には?」
「あっ、私がいます」
「分かった、なら大丈夫だ」
あとで分かったのは、どこか仕事に行く際に、連れて行く前座を見つけようと電話をかけたけれども、ろくなのがいないからやめたと。
なるほど、私も含めて確かにろくなのは、いなかったです。客観的に私は、必要とされていないダメな前座で。先輩からも全く期待されていませんでした。でも妙な自信があったんです。この人たちは、自分の価値に気付いていないと。いつかこんな評価ひっくり返るんだと。
繰り返しますが、若者の特権は、根拠のない自信です。稽古だけは当時、誰よりもしていた自負はありますから、前座の評価基準で、私を判断するなと。師匠方に尽くさなければいけない前座時代に、真逆をいっていたのを覚えています。今考えると、周りが優しかったんですね。