終戦から5年目に戦犯指定が解除されると、表舞台に復帰。潜伏中に書きためていた手記を次々と刊行して、ベストセラー作家の仲間入りを果たした。
その勢いに乗って衆院選に出れば、地元の石川1区でトップ当選。さらに連続4回当選した後、当時の岸信介首相を痛烈に批判したために所属していた自民党を除名処分に。だが、ここでも屈することなく、参議院に鞍替えして全国3位で当選し、人気の高さと期待の大きさを証明してみせた。
その参議院議員の任期中に、内戦下にあったラオスの中立化とベトナム戦争回避を模索すべく、約40日間の旅程で東南アジアへと向かい、消息を絶った——。
まさに“ジェットコースターのような”と形容してもおかしくない波瀾万丈の人生だが、前出・前田氏は、まだその足跡には疑問が多いという。
「こうした辻の経歴もあって、失踪直後から渡航の目的は『潜行三千里のやり直しではないか』といった噂も流れていました。今回、あらためて残された資料や証言を発掘・検証してみると、なぜ辻が身の危険を冒してまで彼の地に乗り込んでいったかが朧気(おぼろげ)ながら見えてきます。それでも、なおも明らかになっていない部分は多く、今後の検証が待たれます」
失踪当時、辻政信は58歳だった。その死を証明するものは、何も見つかっていない。もし仮に今も生きていたとすれば、118歳ということになる。
いまだ多くの謎に包まれていることが、辻政信に対する人々の関心を掻き立てるのかもしれない。