何よりも目を惹くのは、波瀾に満ちたその生涯だろう。
生まれたのは石川県加賀地方の山深い寒村で、着るものにも不自由するような貧しい炭焼きの家だった。
両親がなんとか学費を工面したことで名古屋の陸軍幼年学校に進み、首席で卒業。さらに、陸軍士官学校も首席で出ると、陸士卒の中でもわずか1割のエリートしか入ることのできない陸軍大学校に合格し、卒業時には成績優等者に与えられる「恩賜(おんし)の軍刀」を下賜(かし)された。
戦後の潜伏生活後、国会議員として復活
初陣の「第1次上海事変」では、足に敵弾を受けながらも最前線に立って部隊を指揮し「不死身の中隊長」として一躍、時の人となる。
ところが、その後に作戦を強行した「ノモンハン事件」では、やはり自ら最前線に立ったものの、甚大な犠牲者を出して大損害を蒙ることに……。その結果、一時は参謀肩章を外した閑職に追いやられてしまう。
しかし、台湾駐在を経て、南方作戦の立案を任されると、太平洋戦争の緒戦となった「マレー作戦」を主導。イギリス統治下のマレー半島1000kmを一気に縦断・進軍して、イギリス軍の拠点だったシンガポールを占領し、「作戦の神様」と称されるまでになる。
だが、戦況の悪化と軌を一にするように、辻の“神通力”も陰り始める。後に問題となるシンガポール攻略後の華僑虐殺や、フィリピン戦線でのアメリカ兵捕虜殺害、さらに多くの日本兵が餓えと病気に苦しみ「餓島」とも言われたガダルカナル島の奪還作戦の失敗などにより、その勇名は地に墜ちた。
そして、駐在していたタイ・バンコクで敗戦を迎えるが、玉音放送を聞いた辻は、戦犯追及を逃れるように、潜行生活に入る。僧侶に扮してラオス、ベトナムを経由して中国に渡り、最後は極秘裏に日本へ帰国し、全国各地で潜伏生活を送った。