辻政信の失踪に関する新資料として、前田氏が発掘した黍野弘の私家版・自叙伝
いずれにせよ辻は、バンコクからビエンチャン(現在のラオス首都)、ハノイ(現在のベトナムの首都)を経由して、中国に潜入する。だが、もちろん一人で国境を越える隠密行動はできない。辻は、蒋介石の懐刀といわれた国民政府の幹部や関係者を頼りながら、昆明、重慶、南京へと移動。ついに1948年(昭和23年)5月、長崎県佐世保に上陸し、6年ぶりに“帰国”を果たしたのだった。
それでも、戦犯指定が解除されるまでは潜伏生活を続けるしかなかった辻には、国内にも“支援者”がいた。
読売新聞文化部の前田啓介記者は、失踪60年の節目に出した新書『辻政信の真実』の中で、知られざる潜伏生活を明かしている。
「辻の陸大教官時代の教え子で、ビルマ戦線でも共に戦った黍野弘(きびの・ひろし)という参謀がいました。今回、その黍野の私家版の自叙伝『わが古事記への道』を初めて確認しましたが、それによって辻の行動の一端が明らかになりました。
潜伏中の辻は、転々と居場所を変えていく必要がありました。その情報が洩れてしまうことを避けるため、辻の動静は黍野のほか、辻にとって“兄”のような存在だった元参謀の服部卓四郎(はっとり・たくしろう)、タイで当初一緒に潜行しようとしていた元見習士官の僧侶・秦慧孝(はた・えこう)、さらに軍の特務機関として活動していた児玉誉士夫(こだま・よしお)の4人に限定していました。また連絡係は、やはり服部や児玉では目立つので、黍野と秦の2人でやることになった。彼らの協力を得て、辻は戦犯指定解除までの2年間を国内で潜伏し続けたのです」
前田氏の著書には、そのほかにも初めて明かされた事実が並んでいる。