松尾和子(写真/共同通信社)
昭和の匂いがしてきそう
居酒屋を経営する傍ら、横峯瑠依(長女)、さくら(三女)をプロゴルファーに育て上げた元参議院議員の横峯良郎氏。思い出の歌は、安全地帯『ワインレッドの心』(1983年)だ。
「さくらが生まれた頃のヒット曲です。さくらとツアーを転戦していた時にもマイクロバスの中でよくかけていたから、聴くと当時のことが蘇る。実はさくらはカラオケがめちゃくちゃ上手くて、ゴルフに匹敵するくらいだよ(苦笑)。
あとは同じ鹿児島県出身の長渕剛『素顔』(1979年)。しんみりする曲で、飲んでいるときにBGMやカラオケで聞こえてくると、いろんなことをしみじみ思い出します。昔に比べて酒量も減ったし無茶しなくなったけど、そのぶん涙もろくなって、歌にジーンとくるようになった」
自らスナックを経営している芸人の玉袋筋太郎が挙げたのは、自身が生まれる前にリリースされ大ヒットした松尾和子&和田弘とマヒナスターズ『誰よりも君を愛す』(1959年)である。
「もちろんリアルタイムでは聴いていなかったけど、小さい頃から松尾和子が理想の女性というませた子供で、彼女の影響で熟女好きになったんですよ(笑い)。彼女の歌を聴いて、子供心に大人の色気を感じたんでしょうね。小学生の頃、周りが聖子ちゃんとかで騒いでいるときに、松尾和子とか八代亜紀を推してたからね。
両親がスナックを経営してたからってのもあるけど、松尾さんの髪のボリューム感やドレッシーさを見ていると、高度成長期の夜の酒場が浮かび上がってくるような気がする。近くに寄ったら、きつい香水とヘアスプレーが混ざり合った、昭和の匂いがしてきそうじゃないですか。
松尾さんはいまだに僕の理想の女性ナンバーワン。テレビ東京の『年忘れにっぽんの歌』とかの録画を観ながら飲むのが一番楽しいね」
喜びとともに、悲しみとともに
歌には、そのときどきの“自分”の心情が投影される。コラムニストの吉田潮氏が“酒の肴”として真っ先に挙げたのは、アン・ルイス『WOMAN』(1989年)だった。
「失恋を戦場にたとえていて、私が失恋した時に、友達がからかって歌っていたんです。あと、中島みゆきが作詞作曲した研ナオコ『かもめはかもめ』(1978年)もいいですね。なんか悲しいお酒の時に聴く歌ばっかりですけど(苦笑)。
それほど強くはないけれど、お酒はなんでもいけるクチ。コロナ前は居酒屋とかで飲んでいました。大きな音で音楽が流れているような場所はあまり好きじゃなくて、有線放送の80年代チャンネルとか、昭和歌謡がずっとBGMでかかっていたりすると、グッときますね」