「大好きで、私にとって大切な作品です」と振り返る浅田美代子
ヒデキを感激させたうまい「消え物」
「劇中で食卓を囲むシーンがあると、西城くん、ものすごく食べるんだよ。TBSが用意するご飯がおいしいから(笑い)」
亜星さんが生前に語っていた通り、ドラマの名物だったちゃぶ台に家族が集まって食事するシーンでは、「ばあちゃん、きったねえな」などと悪態をついたり口論しながらも演者はみんな、おいしそうに食卓に並んだご飯に箸をつけていた。
脚本家の故・向田邦子さんのこだわりで、献立は「白菜の漬けもの、昨日の残りの煮付け」など、事細かに決まっていた。
「おいしくて、みんなカットがかかっても食べ続けるから、美術さんが次のシーンの準備をできずに困るほどでした。特にヒデキはひとり暮らしだったから、ああいう家庭的なメニューがうれしかったみたいで、たくさん食べていましたよ。おみそ汁など、大鍋でいっぺんにたくさん作るから、よけいにおいしかったのかもしれません」(浅田)
文字通り“同じ釜の飯”を食べ、家族として長く共に過ごすうちに、出演者同士の間では強い絆が生まれた。希林さんは浅田にとって母親のような存在だった。
「私とヒデキのことを、希林さんはいつも心配してくれていた。私はまだ子供だったし、ヒデキも若かったから、芸能界で生きていけるのか、気を揉んでくださったのだと思います。『役者が演じるのは人なのだから、特別にならずに普通でいろ』『お付きの人がいないとデパートにも行けないようじゃダメ』と言われたのは、印象に残っています」
私生活でも長く、深い交流が続いた。
「プライベートでは『物を捨てて整理しろ』と言われていました。『癌は、やまいだれに品の山と書くのよ』とおっしゃっていた希林さんの家は、本当に何もないの。だから遊びに行ってうちに帰ってくると、その落差にいつもがっかりしていました(笑い)。
私が離婚した後は、“これは再婚しそうもないな”と思ったのか、希林さんは“家を買いなさい”とアドバイスしてくれた。反対に40才になっても独身だったヒデキには“あんたどうすんの”と会うたびに発破をかけていました。“ミヨコには家を、ヒデキには嫁を”が希林さんの口癖でした(笑い)」(浅田)