──全世界から研究される背負い投げではなく、これまであまり見られなかった大外刈りで4戦中3試合で勝負を決めた。
「袖釣り込み腰に入りながらかける大外刈りですよね。相手は返すことができない技であり、背負い投げほどのリスクを伴わない技です。大外刈りが効果的に決まっていたというより、無難で、手堅く戦ったという印象です。思い返せば、代表決定戦の時の城志郎は、試合時間24分という段階にいたって、一二三選手の大内刈りを強引に返そうとして、倒されてしまった。力が圧倒的で、体幹の強い一二三選手に『後の先』なんて、絶対にやっちゃいけないことだった。墓穴を掘った息子と、一二三選手との大きな違いがここにある」
──息子の城志郎選手は、日本武道館の畳に足を踏み入れかけた状態から一二三選手に代表レースで逆転され、五輪出場の夢が潰えました。
「決勝が始まるまで、一二三選手には同じ柔道家として突き抜けた、圧倒的な強さを誇示して金メダルを手にしてほしいと願っていました。それが敗れた城志郎のこれからの人生の肥やしになる。そう思っていました。ただ、金メダルを獲得した瞬間、全身の力が抜けるような感覚があったのもたしかです。虚しく、悲しく、(自分の息子が)情けなく。これは私の引退後、どんな親御さんよりも、膨大な時間と情熱と、お金をかけて息子に英才教育を施してきた私にしか分からない感情だと思います。
城志郎は今年6月のブダペスト世界選手権で2連覇しましたが、オリンピックチャンピオンに勝るものはない。アマチュアスポーツではオリンピックがすべて。東京五輪の金メダルで、城志郎の連覇は忘れ去られてしまうのではないかとも思う。
いまは、オリンピック選手を育てるために道場を立ち上げて、道場生を募集しています。自分の手で金メダリストを育て上げること、自分の人生を賭してきました。その夢が果たせていない以上、追い求めたい。私が指導するわけですから、どうしても厳しい態度で接してしまう。そのことに理解のある親御さんの理解を得て、一二三選手や(東京五輪60kg級王者の)高藤直寿選手のような“天才”ではなく、“叩き上げ”の選手を育てていきたい。10年以上をかけて金メダリストに育てていきたい。その思いは阿部兄妹の金メダルを見てより強くなりました」