本作の主演声優として中村の名前が発表された際、驚いた人は多いことだろう。筆者は6月2日にLINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)にて開催された中村のライブ「うたのげんざいち 2021」でこれを知った。彼女の存在を知らない人からすれば不安かもしれないが、中村本人によるこの知らせに、会場内が歓喜の渦に包まれていたのが印象的に残っている。実際にライブを鑑賞して、不安が全くの杞憂に終わったという人も多かったと思う。ライブMCでは歌うようにトークし、流れるように歌の世界に入っていく中村らしく、劇中のセリフもまるで終始歌っているような聞き心地の良さなのである。すず/ベルが発するのは“セリフ”というよりも、リズムを感じさせる“フレーズ”という印象に近いのだ。
特に劇中でベルが歌うシーンは、“中村佳穂の歌を映画館で堪能している”という感覚が強くある。劇場を出る際には、良質なアニメ映画を観た後の余韻と、ライブに浸った後の余韻が同時に押し寄せてくるような感覚になったのだが、SNS上での似たような感動の声を見るに、これは筆者だけではないようだ。本作における中村の存在は、アニメーション作品を構成する一つのピースというよりも、アニメーションと音楽の完全なるコラボレーションを果たす役割を担っているものだと思う。
中村は今回のポジションをオーディションにて射止め、細田監督に「彼女こそすず!」とまで言わしめたのだという。本作で重要となるのはやはり「歌」であり、“歌うこと”を生業としている人間にしかできない、つまり、俳優や声優にはできない表現を彼女はやってのけているのだ。これまでは“知る人ぞ知る”ミュージシャンであった中村佳穂。本作が日本国内のみならず、カンヌ国際映画祭で上映されたこともあり、その名は広く知られることになったようである。実質、“世界の歌姫”になったと言えるのではないだろうか。
【折田侑駿】
文筆家。1990年生まれ。映画や演劇、俳優、文学、服飾、酒場など幅広くカバーし、映画の劇場パンフレットに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。