見事、野球ファンが待ち焦がれていた快挙を達成した稲葉篤紀監督。東京五輪の野球は8月7日に決勝戦が行われ、日本がアメリカを2対0で下し、正式競技になって以降、初の金メダルを獲得し、稲葉監督が宙を舞った。プロ野球担当記者が話す。
「予選リーグ初戦のドミニカ共和国戦では青柳晃洋(阪神)の中継ぎ起用が裏目に出てしまうなど、五輪を通してすべての采配がうまくいったわけではありませんが、決勝戦では先手先手の投手交代でアメリカを完封。7回に浅村栄斗(楽天)が二塁打で出塁すると、迷わず代走に源田壮亮(西武)を送るなど先手で仕掛けて行きました。試合を重ねるごとに、采配も変化していった。選手を信じて戦う稲葉スタイルの勝利だったと思います」(以下同)
プロ選手の参加が解禁された2000年のシドニー五輪は、4位に終わった。オールプロで挑んだ2004年のアテネ五輪は銅メダル。稲葉監督が選手として出場した2008年の北京五輪では準決勝で韓国に敗れ、3位決定戦ではアメリカに力負けし、メダルを逃した。技術の高い選手が揃えば、必ず勝てるわけではなかった。
「稲葉監督は怪我明けの千賀滉大(ソフトバンク)、本調子とは言い難い田中将大(楽天)や大野雄大(中日)をメンバーに入れ、ルーキーの栗林良吏(広島)を抑えに抜擢。左の中川皓太(巨人)の怪我による出場辞退を受けて、同じくルーキーで右の伊藤大海(日本ハム)を選出した。このメンバー選考を疑問視する声もありましたが、結果的にはハマりました。田中は精神的支柱になった。新人はメンタルも強かったし、与えられた場所で遮二無二働いた。短期決戦でポイントになるチームワークを考えての選考は見事だったという他ありません」
大役を見事に務め上げた稲葉監督だが、野球関係者の間からは、「オフには日本ハムの監督就任が待っている」との声が聞かれる。