『無理ゲー社会』より
ハリウッド映画に出てくるような“巨悪”は存在しない
そもそもこの「無理ゲー」のスタートボタンはいつ、また何ゆえ押されてしまったのか。橘さんはその理由を「自分らしさの追求」だという。
「多くの人は社会的な問題の背後にハリウッド映画のように『巨悪』が存在すると思っていますが、それは大きな間違い。むしろ、現代人が抱える生きづらさは『すべての人が自由に自分らしく生きられる豊かで幸福な社会』をつくろうという理想を目指したことによる必然的な結果です」(橘さん)
理想を追求することが、なぜ悲劇的な結果を生むのか。その答えを知るには、歴史を振り返る必要がある。
かつての身分制社会では、親の身分が子供の将来をほぼ決定し、職業選択や恋愛の自由はなかった。つまり、生まれた瞬間、就く仕事から結婚相手まで、ほぼ決められていたということだ。しかし時代の経過とともに豊かで平和な世の中になると、個人の人生をめぐる価値観や考え方が一変した。
「大きな転換期は1960年代。アメリカの西海岸で『本当の自分を発見し、自分の人生を自分で選択する』という新しい価値観が生まれました。当時の人々にとって前代未聞の驚くべき考え方で、キリスト教やイスラム教の誕生に匹敵する人類史的な出来事です。この価値観は瞬く間に世界中に広がってグローバル・スタンダードになり、いまでは『誰もが自分らしく生きられる世の中にすべきだ』という理想を否定できなくなりました」(橘さん)
こうして私たちは輝かしい自由を手に入れたが、それは同時に深い苦しみを生むことにもなる。
「自分らしく生きることが当たり前になると、『自分らしさって何?』という疑問が生まれます。でもそこに答えはなく、永遠に探し求めることになってしまう。それに、みんなが自己実現できるわけではありません。にもかかわらず『自分だけの夢や目標を実現しなくてはならない』という無言の圧力が社会全体を覆っています」(橘さん)
山田さんも声をそろえる。
「自分らしさや多様性という言葉は非常に負担になっていると感じます。働いてお金を得るだけならば昔に比べて無数の選択肢がある。ただ、『それって自分らしいのかな?』と考えるとそこで足踏みをしてしまうし、『理想と違う』とがっかりしてしまう。考えすぎてしまうことで生じる苦しさは確かにあると思います」(山田さん)
※女性セブン2021年9月2日号