二人三脚で習得した「遅いシンカー」は代名詞に(1995年2月撮影/時事通信フォト)
当初は先発要員だったが、野村氏から「球界を代表する抑えになれ」と遅いシンカーの習得を命じられ、つきっきりで指導を受けた。野村氏の慧眼で才能を開花させた高津氏は、3年目の1993年シーズンに20セーブを挙げて、リーグV2と15年ぶりとなる日本一に貢献した。
その後、日本球界を代表するクローザーとして大リーグにも挑戦した高津氏の礎となったのが、野村イズムに他ならない。
「僕らもそうですが、高津監督は野村野球を継承するひとりだと思う」
こう語るのは、1992年の優勝メンバーである飯田哲也氏。野村ヤクルトで不動のリードオフマンを務めた名外野手である。飯田氏は、高津氏の「勝ちにこだわる姿勢」に野村氏の背中を見る。
「野村監督がよく口にしていたのは『点を取られなければ負けない』という言葉で、点を奪って勝つ野球よりも、点を与えず負けない野球を目指していました。
今季の高津監督も、“ここは落とせない”という試合でピッチャーをどんどんつぎ込みました。勝つチャンスがあれば、投手に無理をさせてでも勝ちにいく姿は野村監督を彷彿させます。高津監督は自分なりの考えを持ちつつ、根底の部分で勝ちに徹した野村野球を継承しています」
攻撃時の采配からも、野村イズムが垣間見える。
「野村監督は送りバントやスクイズ、ダブルスチールなど“細かい野球”で1点を奪いました。今季の高津監督のチームも、盗塁数、犠打数はともにリーグ2位です。野村野球が染み込んだ僕らからすれば、勝ちにこだわり、1点を大切にする野球を高津監督が心掛けていることがわかります」(飯田氏)
野村氏は観察、洞察、分析、判断、決断を重ねる捕手というポジションを最も重視して、常勝ヤクルトでは愛弟子の古田がID野球の扇の要となった。
「古田さんには及ばないが、今季は中村悠平(31)の成長が大きい」
そう指摘するのは、野村ヤクルトで「ギャオス内藤」としてブレイクし、リーグ優勝や日本一に貢献した内藤尚行氏だ。
「野村ヤクルトがリーグ優勝した時は古田さんがチームの屋台骨となり、『グラウンドに監督がいると強い』と言われました。今季のヤクルトは正捕手の中村がチームに貢献しています。特に攻撃面はオスナとサンタナ(29)の両外国人の間で勝負強い6番打者として力を発揮しています。その潜在能力を引き出したのは高津監督の大きな功績で、今の中村は野球をするのが楽しそうです」