1974年新宿駅、通勤ラッシュの様子(時事通信フォト)
丸本さんの言葉にどきりとした。みな競争とマウントに晒され続けて麻痺しているが、特殊な才能があろうとなかろうと、過度の労働意欲などなくとも生きていけるというのが普通の国、というのは事実かもしれない。日本はすっかり普通ではない、異常な国になったということか。普通の国の時代に現役だった団塊世代が羨ましい、と言ったら丸本さんは顔をしかめた。
「そんなこともないのよ、さっきも言ったけど次男はプータロー(無職の古い言い方)だし、長男も金をよこせと言ってきた。孫のために出しますがね、世代関係なく大変よ」
長男は結婚して独立した正社員、しかし子どもの専門学校の学費が出せないので、かわいい孫のためにと出してくれないかという。
「子どもの学費も出せないなんて、情けない息子ですよ」
いろいろ説明は試みたが、やはり丸本さんと息子さん二人の時代の違いは本質の部分で理解してもらえなかった。これは別の高齢者でもそうだった。その方は80歳でもっと上だが、彼もまた息子を情けないと言っていた。国立大学まで出たのに年収が低く、自分の家も買えないと。時代が違うんですよ、働き盛りのころは消費税だってなかったでしょうと言ったら「物品税があった」と反論されてしまった。まあ、仕方がないのだろう。いま、我々は彼らの年金を支えている。
年収の低いサラリーマンでも結婚してマイカーとマイホーム、子どもを複数生んで育てられた時代が確かにあった。いまや正社員でも年収400万程度のサラリーマンは実家で親掛かり、もしくは共働きでもなければそこまでの生活設計は描けない。それどころか40代正社員で年収300万円やそれ未満のサラリーマンが大勢いる。それもほとんど昇給がない。非正規どころか正社員すら可処分所得の大幅な減少で生活が苦しくなっている。40代の20%、30代の30%(ともに単身世帯・厚労省)は貯金ゼロである。遅かれ早かれ、彼らを筆頭に社会的に「詰む」膨大な日本人が溢れ出てくる。
丸本さんも含め他の高齢者の方々には申し訳ないが、彼らに我慢してもらわなければいけない時代が来たのではないか。ついに団塊世代から上の富裕層、中間層に対して何らかの形で犠牲になってもらわなければいけない国になりつつあるのではないか。どこの誰に投票するにしろ、左右関係なく選挙に行ってそれを実現するしかない。団塊世代から上は多数だが、バブルおよび団塊ジュニア・ポスト団塊ジュニアも負けずに多い。
世代間戦争とまでは言わないが、その下の20代も含めちゃんと選挙に行けば数の上では勝てる。みんながちゃんと選挙に行くことが条件だが――絶対的なこの国の老人優遇を憂うなら選挙で示す、民主主義国家である限り、この繰り返ししか術はないのだ。
【プロフィール】
日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。著書『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社・共著)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)他。近著『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。