2020年7月9日、和さんは命がけの出産に臨んだ
2020年1月、妊娠が判明した。順調に妊娠生活を送っていた和さんだったが、5月にがんの卵巣転移が発覚した。状況は緊迫していた。
〈私も、赤ちゃんも、どちらも生きて会えますように。全然考えたくないけれど、もしものときには、娘を助けてほしい。遠藤さんにも前から伝えてある。どちらかを選ばなくちゃいけない状況になったら、赤ちゃんを優先してください。〉
2020年7月9日、和さんは命がけの出産に臨んだ。27週目、帝王切開だった。幸い母子ともに無事だった。しかし、その後の卵巣摘出手術では、産まれた娘の3倍近くの重さの腫瘍が摘出された。
和さんは、できるかぎり母親としての役割を果たしたいと願い、努力した。入院する前には期間中の離乳食や食事を作り置きし、自力で台所に立てなくなっても、ソファに臥したまま野菜をカットした。自分では食べ物を飲み込めなくなっても、家族が作った料理を口に入れて、味つけを仕上げた。娘の健診には、車イスで立ち会った。
和さんは、家族の助けを借りて厳しい闘病に立ち向かいながら、娘のために日記を書き続けていた。
〈彼女がもう少し大きくなって何かに迷ったとき、私の人生の選択が少しでも参考になったら、うれしいなと思う。〉
娘のために、自らの生きた日々を書き遺すこと──それは、和さんの心を支える作業でもあった。遠藤和さんがまとめた著書『ママがもうこの世界にいなくても』の「はじめに」で、夫・将一さんはこう記している。
〈2021年9月8日、14時11分。約3年の大腸がんとの闘病の末、妻の遠藤和は息を引き取りました。24歳でした。
彼女は心優しい両親と2人の妹に囲まれて、青森で育ちました。家族や友達、仲間、みんなから「のんちゃん」と呼ばれてかわいがられる、愛にあふれた女性でした。明るくて、押しが強くて、料理とデパコスが大好きでした。スーパーの店員さんに声もかけられないほど、めちゃくちゃ人見知りな一面もありました。