2016年10月4日、夜の本町。互いに仕事終わりだった僕たちが出会ったのも青森でした。6歳年下の彼女は初めて出会ったその日から、僕のことを好きになってくれました。いつも隣で笑っていて、僕や娘においしい手料理を食べさせたいと張り切ってキッチンに立ってくれました。和に大腸がんが発覚したのは、2018年です。そろそろ結婚の話をしよう、そう思っていた矢先のことでした。医師の先生方は口を揃えて若い女性の大腸がんは珍しいと言いました。なんで21歳の和が、と思いました。
彼女の夢はわが子を産み、母として愛情を注いで育てることでした。翌年に結婚してすぐ、僕たちは娘をさずかりました。奇跡のような出来事だと思っています。和は抗がん剤治療を一時的に休止して、お腹の赤ちゃんを守ると決めました。帝王切開のとき、1000gにも満たなかった娘はすくすく育ち、2021年7月9日に無事に1歳の誕生日を迎えました。和は食パンとヨーグルトで、赤ちゃんでも食べられるケーキを作って、お祝いをしました。
がんの発覚からほどなく、根治が難しいステージIVのがんだと宣告されたとき、和からは、普通の暮らしを続けるのが願いだと言われました。仕事を辞めて治療に専念したらどうか。そんな話をしたこともあります。でも、働きたいと言われました。和にとって仕事をすることは、料理をすることと同じぐらい、ありふれた幸せな暮らしを象徴するものだったのかもしれません。妊娠中も、食堂で働いていたほどです。
小学館の雑誌『女性セブン』から取材の申し込みがあったのは、次第にがんが進行して、アルバイトも難しくなってきた2020年の冬でした。雪の夜、記者さんが突然家を訪ねてきたので、とても驚いたことを覚えています。『笑ってコラえて!』やインスタで私たちのことを知ったということでした。人見知りの和は警戒し、最初は迷っていました。
でも、それから数か月の間、記者さんとメールや電話でやりとりをするうちに、万が一のときには娘に残せる記録になるかもしれないと思いました。和も同じように感じていたようだったので、2人で相談し、日記をもとにした定期的なインタビューを受けると決めました。結婚記念日の12月21日を目標に、娘のために本をつくることになりました。約1年、記者さん、編集者さんと一緒に、和は熱心に取り組みました。次第に症状は悪化し、長時間のインタビューに応えることが難しくなって。それでも、彼女は日記をつけて、手で書けなくなるとスマホに打ちました。和の闘病や育児の様子が雑誌に掲載されるたびに、多くの方々から励ましのメッセージや手紙をいただきました。