朝倉未来が言う「格闘技を盛り上げる」とは?
まず、思い出してみよう。AbemaTVは、ガチガチの企業である。真にヤバい企画など立てるわけがなく、“ヤバさ”は演出である、と受け取るのがまともである。実際に、殴り合うのだから、まったく危険じゃないということはないだろうが、そこにはやはりリミッターがかかっていると読み解き、楽しむのが筋というものだ。「本気でいく」と宣言していた朝倉未来も、企画終了後は「手加減はしていた」と告白している。ただ、企画側が狙った“ヤバい”香りがあまりにも香ばしくたちこめたため、多くの批判を招くことになったのである。
そして、朝倉未来自身も「あまりいい企画ではなかった」という反省の弁を表明することになった。「格闘技を盛り上げる」ためにこの企画を受けたものの、結果としては「弱い者いじめに見えた」からだそうだ。つまり、自分が狙っていた「格闘技を盛り上げる」物語とのズレが生じたというわけである。
さて、この「格闘技を盛り上げるため」はことあるごとに朝倉未来が口にするフレーズだ。また、似たようなことをいろんな格闘家が口にしている。大晦日に朝倉未来と戦った斎藤裕選手は、スケジュールが厳しい中で、このマッチメイクを受けたことを「MMA(総合格闘技)の素晴らしさを知ってもらうため」(自身のYouTubeチャンネルにて)と語った。しかし、「盛り上げる」と「素晴らしさを知ってもらう」はちがう。
朝倉未来も斎藤裕もMMAを好きだろう。そして、MMAファイターはみな「格闘技は素晴らしい」と言いたいだろう。しかし、古代ローマ時代でもあるまいに、21世紀にもなって、手の骨が折れるほど激しく相手の顔面を殴ったり、筋を痛めるほど関節をひねるようなことをいまだにやり合っている競技が素晴らしいと言える理由はなにか? 「人に感動を与えるから」というのがもっともありそうな説明である。では、本当に格闘技を素朴に見て感動できるだろうか。できない、と僕は思う。感動ができるとしたら、そこに物語を読み取るときだけだ。
では、朝倉未来はどういう意味を込めて「格闘技を盛り上げる」と言っているのだろう。僕が思うにそれは「総合格闘技の商圏を拡大する」という表明だ。そして、商圏を拡大するには「物語」が必要だということを彼は直感的に知っているのである。
物語の周辺に商圏ができる。物語なくして商圏はない。物語がパワフルになるほど商圏は拡大する。では、なぜ朝倉未来は年商10億円も稼いでいるのに(大晦日のリングインの実況で知った)、自分の懐が潤うことだけでなく、総合格闘技全体の商圏拡大に対して意欲的なのか。ここで浮上するのが、以前、朝倉未来にふれた文章でも取り上げた「仲間」というキーワードである。商圏を拡大するのは自分のためだけではない。仲間も食えるようにするためなのだ。