感極まられる雅子さまに優しく手を差しのべられた(写真は2002年4月、東京・港区。時事通信フォト)
雅子さまは目に涙を浮かべ、詰まりながらもなんとかそう言葉を紡がれた。隣に座られていた陛下は、そっと雅子さまの背中に手を伸ばされた。その光景からは、ご夫妻の強い信頼関係が伝わってきた。しかしほどなくして、雅子さまは適応障害と診断され、療養生活に入られた。いまなお、ご快復の途上にいらっしゃる。
「伝統的な皇室の文化になじめなかったことや、お世継ぎへのプレッシャーなど、さまざまなご負担があったのでしょう。その中には、ご出産後、子育てへの戸惑いもあったといわれています。
雅子さまは幼少から勉強もスポーツも抜群に優秀でいらっしゃいました。しかし、子育ては別です。特に言葉がまだ通じない赤ちゃんや幼児は、親の思い通りにはいきません。雅子さまにとって、物事がうまく進まないという状況は、あまりご経験がなかったのでしょう。最近では『産後うつ』が社会一般にも理解されるようになってきましたが、雅子さまは真面目なご性格ですから、追い込まれてしまった部分があったのではないでしょうか」(別の皇室記者)
愛子さまの少女時代は、決して平穏だったわけではない。小学2年次には、乱暴な児童の影響で、登校が難しい時期が続いた。雅子さまはこの間「同伴登校」をされた。中学2年次には、再び欠席が続き、激やせが心配されることもあった。
「困難を抱えられた時期のあった愛子さまも、高校生になると笑顔でお手振りをされるようになり、天皇家の気品も感じられるようになりました。雅子さまが愛情をもって愛子さまに接され、寄り添われてきたことが結実したのでしょう」(前出・皇室記者)