なぜ今書くのか、なぜ小説なのか

 便宜上、時系列をあえて整理すれば、本作は両親の離婚後、母に引き取られた大路が、〈お祖母ちゃんのことでな、話があるんや〉と、芦原出身の父・準平に呼び出され、1通の古い報告書を託された、令和2年10月15日を1つの起点とする。

 報告書は祖父亡き後、商店を営みながら父を育てた祖母〈菊代〉が〈辻静代〉なる人物を興信所まで使って調べたものだった。また父は、大路が書いた、とある映像会社の紹介記事の中に辻珠緒なる名を見つけ、彼女こそ静代の孫ではないかと、息子に調査を依頼するのである。

 あくまでそれは父子間の個人的な依頼ではあった。が、珠緒がクリエーターとなるまでの経緯や京大での学生時代、銀行員時代、芦原での少女時代と、各時代の友人知人を訪ねる大路共々、私たちも令和~平成~昭和と時を遡り、忘れかけたあの時代を追体験することになるのだ。

「私は(1)なぜ今書くのか、そして(2)なぜ小説なのかという2つをクリアしないと小説にならないと思っています。今をきちんと書くと物語の中に一本、過去現在未来の軸が通る。

 辻珠緒でいえば1980年代に総合職として入ったものの、そもそも女性は数のうちに入らず、出世も頭打ち。当時は京大生でもそうだったことを私自身、知ったような気でいたけど、当事者に直接細部を訊くと訊かないでは大違いでした。

 2018年に読売新聞が抜いた医学部入試での女性減点問題のように、未だ制度の歪みに人知れず潰される存在がいる一方、昨今ではSNSが普及し、個の発信力が高まることで、マスが瓦解されつつもある。

 私も昔は引ったくりの被害額が幾ら以上なら記事にするとか、無自覚にそういう線引きをしていた反省から、とかく排除されがちな細部を丁寧に描写し、改めて人ひとりの情報量ってどれだけ膨大なんだ! と気付いた。それがこの複数のキーワードが1人の個に収斂される小説で得た最大の収穫で、漢字で言えば『大』から『正』への過渡期にある今、書けてよかった」

 資本主義下で皆が強さや大きさを志向した時代から、個々人が正しくあることで安定を図り、上下の圧力より左右の連帯を尊ぶ社会へ。そんな今が確かに映り込み、予想だにしない結末に舌を巻くこと必至の、悉く重層的な10周年記念作品である。

【プロフィール】
塩田武士(しおた・たけし)/1979年兵庫県尼崎市生まれ。関西学院大学社会学部卒業後、神戸新聞社に入社。2010年『盤上のアルファ』で第5回小説現代長編新人賞を受賞し、2011年にデビュー。翌年退社し作家専業に。2016年『罪の声』で第7回山田風太郎賞。同作は週刊文春ミステリーベスト10で第1位となるなど大ベストセラーに。2019年『歪んだ波紋』で第40回吉川英治文学新人賞。その他『女神のタクト』『騙し絵の牙』『デルタの羊』等、映像化も多数。173cm、60kg。

構成/橋本紀子 撮影/国府田利光

※週刊ポスト2022年4月8・15日号

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