1993年7月、初公判に臨む金丸
ワン・ワン・ライス
会談から三日後の夜、私は民社党書記長の米沢隆と麻布十番の料理屋「亀の井」で落ち合った。当時、小沢と公明党書記長の市川雄一の緊密な関係が「一・一ライン」と呼ばれ「有名」だったが、米沢も小沢との関係が深く、記者仲間は一・一に米を加えて「ワン・ワン・ライス」と呼んでいた。口数が多いタイプではなかったが、小沢番時代から接触していた私は、何とか距離を縮めつつあった。
この店は、米沢の信頼が厚かった他社の記者らと度々訪れていた。しかし、今回は彼らには悪いと思いながら、サシで話を聞きたいと米沢を誘っていた。米沢の好物のすき焼きを注文し、牛肉が煮えるのを見ながら、私は気になっていることを質問した。
「小沢さん、連合の山岸会長と会ったんでしょう? 連合の中にも小沢アレルギーがあるのに、本当に組めますか?」
米沢は「バカモン、くだらないことを聞くな。小沢が誰と会ったかなんか知らん」と言いながらニヤニヤしている。京都大学相撲部出身の堂々たる体躯に愛嬌のある丸顔がちょこんと載ったような風貌の米沢は、バカモンが挨拶代わりの口の悪さだが、意外に細やかな神経をしている。こういう時の米沢は機嫌がいいのだ。
私は臆せず問いかけた。
「だって、連合がいいとなっても、小沢さんが飛び出さないと何も始まらないでしょう。羽田派の若手議員も選挙のことを考えると本音は離党したくない人が多い。小沢さんも迷っているのではないですか」
民社党内は米沢ら労組出身議員と委員長の大内啓伍ら党生え抜きの議員との間の路線対立に、親小沢か反小沢か、という体質の問題も絡んで微妙な党内状況になっていた。米沢は少し考えた後に、いつもの淡々とした口調で答えた。
「小沢は腹を決めた。政治改革特別委員会が主な舞台になる。予算が上がったら一気に動き出す。民社の中にもややこしいのがいるが、連合系はまとまっている。こちらも準備を始めた」
それだけ言うと米沢は「話は終わりだ。酒がまずくなる」と、後は日本酒を手酌であおり続けた。