絵はともかく、言葉を書くときに無意識でいるのは難しそうだが、50年近く夢日記を書き続けてきたことが役立ったそう。
「夢って無意識の顕在化ですからね。夜中に目覚めて書くことも、朝起きて書くこともありますが、書かないと消えてしまうので、その日見た夢を書き残してきました。その影響はあるかなと思います」
直接、会ったことがない人も、なるほどこの人なら言いそうだ、という言葉を口にする。書くときには一切、資料を調べたりせず、自分の中にあるイメージをもとに、会話を書いていったそうだ。
死者たちの話はポリフォニック(多声的)で、てんでに話したいことだけを話す。本質的な芸術論を戦わせる一方で、言葉遊びのように音の響きで会話をつなげたり、ダジャレで話の腰を折ったりもする。
「一対一じゃなく多人数で雑談しているときって、人の話に無理やり割り込んだりしますよね。この小説の書き方だとそういうこともできますから。まじめな話が続くと自分で恥ずかしくなってしまうので、澁澤(龍彦)さんにダジャレで茶化す役をしてもらっています」
スタイリッシュな作家という印象がある澁澤龍彦だが、横尾さんの前では、たびたびダジャレを口にしたらしい。
日野原重明先生が登場した理由とは
全体の水先案内人の役割を果たすのが、亡くなって52年になる三島由紀夫だ。三島には、「ポップコーンの心霊術」という、短いがすぐれた横尾忠則論がある。
「初めのうちは何が書いてあるかわからなかったけど、50回も60回も読みましたね。ぼくは三島さんの小説には影響を受けなかったけど、行動を通していろんなことを学んでいく、三島さんの生き方は面白いんです。獲得した地位を全部捨てて、階段の一番下に戻ってまたそこから上り始める。自分もあんな風にできればいいなと思いました」
小説は横尾さんの絵のイメージに重なり、横尾さんの中に取り込まれ、融通無碍に再構成された美術史を見るようでもある。深い森に迷い込む導入はダンテの『神曲』を思わせ、『原郷の森』は、横尾版『神曲』とも読める。
「ぼくは『神曲』が大好きで、何度読んだかわからないぐらい。『神曲』は文学作品として評価されていますが、ぼくはドキュメンタリーだと思っています。つまり想像で書いたものではなく、ダンテが何らかのかたちで遭遇した霊的な経験をドキュメントとして書いたんですよ」