教育再生会議の初会合であいさつする安倍晋三首相(右から2人目)。右端は野依良治座長。2006年10月18日(時事通信フォト)
先に言っておくが、講習を受けずに教免が失効してしまった人もすべて救済されることとなった。つまり、現役の教員として更新した人以外で教免を失いたくないがために講習を受けた人には申し訳ないが、面倒だからいらないと講習を受けず失効した人も含めて遡って復活するため(旧免許は自動的に復活、新免許は再申請が必要。詳細は各自、所属および関係機関に確認を)、資格喪失の有無を伴う意味での免許更新に限ればすべて「無かったこと」になる。まあ、「教員としての再勉強になりました」という人もいるかもしれないが。
「いや、学校の手前そう報告するでしょうが、(先生方の)本音は違うでしょう」
いきなり「発展的解消」
教員、とくに小中学校の教員は激務とされる。子供たちひとりひとりの個性も学力も違えば生活環境、家庭環境も違う。部活も受け持てばさらに激務は増す。医療や福祉と同様、構造的な問題が労働環境を悪化させているが、多くの人間、まして子供を扱う仕事ともなれば責任も重大、杓子定規に時間を決めて仕事スタート、はい終わりといくわけもない。働き方改革はもっともだが教員としての熱意があるほどに、教員自身の人生そのものを削ることにもなるのが教育現場の現実だ。
「それに先生方だって研修は常にしていますからね、内容が伴っているかはともかく、そういった研修を上回る成果が(教免更新)講習にあったかといえばないですね。大学の先生やコンサルにいまさら教わることもねえ、という感じで」
教育に関する研修そのものは自治体や関係機関、自校内でも定期的に行われている。多くの先生方は研修そのものが嫌なのでなく、二度手間、かつ意味がよくわからない研修でしかない更新講習だから嫌なのだ。受講先にもよるのだろうが、小中高の実際の現場を知らない大学教員の古臭い講義をひたすら垂れ流すだけの大学もあったという。
「大学や大学教員のお小遣い稼ぎとしか思えませんでしたね。でも、いきなり『発展的解消』なんて言われて大学側も怒り心頭じゃないですか」
その『発展的解消』というのはいかにもで、かつての旧日本軍が敗北を伝えるときに使った『転進』みたいだ。
「懐の寂しい地方の零細大学や無名大学にとって、新しい収入源になっていたことは事実でしょう」