作品に関する指摘も少なくない(写真は黒島結菜)
東京・銀座で働く主人公の料理人が片付けや仕込み等の仕事を終え、横浜・鶴見まで帰ってきてまた居酒屋の厨房で料理したり店で飲んだりする時間や余裕があるかどうか。ちょっと調べればわかる物理的な距離感覚すら、粗雑に感じる。
イタリア料理に関して、間違った描写や誤っている点を料理研究家が指摘し、ドラマに監修で入った専門家も「助言してはいるんだけどね……」と困惑している(『デイリー新潮』2022.7.7)と報じられた。
人を騙してはいけない。借りたものは返す……。ちょっと気になった点を書き出しただけでも、小学生のレベルです。フィクションだからしょうが無いと目をつぶるにしても、毎日理不尽が多くて戸惑ってしまう。
それもこれもNHK朝ドラが、多くの人にとって「生活・文化的インフラ」だからでしょう。そして『ちむどんどん』が、その役割をなぜかスルーしているから。つまり、「生活・文化的インフラ」の破綻を感じてしまうのです。
もちろん物語だから不道徳な人物もいていいし、常識はずれの行動もあっていい。ただ、出てくる人がみんなそうだったら、朝ドラというインフラは成り立たない。
最低限の約束は守る、礼儀は軽視しない、一生懸命物事に取り組む、清潔さ爽やかさが基本というトーンは崩さない。それが日本の朝ドラという「生活・文化的インフラ」の役割で、これまでもそうだったはずです。このドラマの制作統括・小林大児チーフプロデューサーが「毎朝気持ちよく、一人の主人公に感情移入していくのが見やすい」と語っているように。
日々、自然に視聴できることこそ「インフラ」ではないでしょうか。ぜひ役割を崩壊させない朝ドラを期待したいものです。