喉元の奥に重さ15~20グラム、蝶が羽を広げたような形で気管を包むようにはり付いているのが甲状腺だ。これまで3000例以上の甲状腺外科手術を執刀し、甲状腺がん治療の第一人者である東京医科大学病院呼吸器外科・甲状腺外科教授、筒井英光医師(58)の元には、各地の病院では対応できない進行がんの高難度の手術を受けに来る患者が後を絶たない。
「進行した甲状腺がんが気管や神経に浸潤する症例やリンパ節転移が激しい症例など、難易度の高い手術を実施できるのが強みです。中でも気道を一緒に切除して再建するのが私の最も得意とする手術です。手術できない患者さんには、気管支鏡を使って気管内に浸潤したがんをレーザーやマイクロ波で焼く気管支鏡下腫瘍焼灼術を行ないます。
甲状腺がんに特化してこの治療を行なっているのは世界中で我々だけだと思います。気管内で焼灼した甲状腺がんよりも、周りの正常組織の方が早く再生してがんを覆ってしまうため、焼くだけで長期間がんを抑えられる画期的な治療法です」
甲状腺がんには、乳頭がん、濾胞がん、髄様がん、低分化がん、未分化がんなどの種類があり、悪性度や進行のスピードはそれぞれ異なる。
このうち約90%を占める乳頭がんは進行が比較的遅く、手術後の患者の10年生存率が90%を超える。一方、未分化がんは全体のわずか2%程度だが、進行が早くて治療が難しく、甲状腺がんの死亡原因の60%を占めるという。
「乳頭がんの患者さんが再発を繰り返すうちに未分化がんに変わったり、乳頭がんにずっと気付かず、長期間の経過で未分化がんに転化するケースもあります。未分化がんは進行が早いうえ、周囲に染み入るように広がりますので、完全に切除できるケースは多くありません。最近のがん薬物療法の進歩は目覚ましいですが、未分化がんに対する効果は十分とは言えません。
また、乳頭がんの9割は生存率が高い“たちがいい”低リスク群ですが、1割は10年生存率が60%台の“たちが悪い”高リスク群です。甲状腺がんの男女比率は1対6で女性が多いものの、高リスク群では55歳以上の男性が増えてきます」
乳頭がんの再発を繰り返した結果、肺転移で亡くなる場合もある。最初の手術でがんを徹底して取り除くことが極めて重要だ。
「頸部では狭い場所に重要臓器が密接しています。甲状腺は気管の前にあり、すぐ横には頸動脈、裏には副甲状腺があり、声帯の動きを司る反回神経も走行しています。喉のすぐ横には声帯の緊張を司る上喉頭神経外枝があります。がん摘出のために神経を切ると、声がかれるなどの後遺症が残ります。がんを全部取り除きながらも、神経や臓器、筋肉の機能をできるだけ温存することが甲状腺手術の重要なポイントです」