しかし、日本だけは通用しない。もうおわかりだと思うが、私がいくら後醍醐を批判しようと、いや批判すればするほど、それは「そんな主君のために命を捧げた楠木正成は偉い」と言っているのと同じことになる。だから世界の常識では私は「楠木正成を否定している」のでは無く、むしろ徹底的に褒めそやしていることになるのだが、多くの日本人はそう取ってはくれない。

 これはいわゆる「忠臣蔵(赤穂事件)」でも同じことで、私は決して「大石内蔵助(良雄)は否定しない」。むしろ、忠臣の鑑だと思っている。理由はもうおわかりだろうと思うが、それは「一時の短慮で傷害事件を起こし御家を潰した浅野内匠頭長矩に最後まで忠義を尽くした」からである。

「浅野がバカ殿だ」ということは、裏返しに言えば「にもかかわらず、そのバカ殿に命を捧げた大石は素晴らしい忠臣だ」と賞揚しているのと同じことなのだが、むしろ「忠臣蔵信者」からは「浅野がバカ殿だと、ケシカラン。なにを言うのだ。あの方は名君だ」と罵倒された。名君ならばあんな事件を起こすはずが無いのだが、どうしても彼を名君にしたい人々は、そのぶん吉良上野介を極悪人にした。あれほどひどいイジメを受けたら名君でも耐えられない、という「論理構成」(?)である。

 しかし、その吉良のイジメなるものが実態が無く有り得ないものであることは『逆説の日本史 第14巻 近世爛熟編』に詳しく書いた。興味ある方はご覧いただきたい。

 とにかく最大の問題は、なぜ日本人は名君では無い者を名君にしたがるのか、ということだ。まず言えるのは、これは世界の常識に反しているから、日本だけの「常識」に基づくものであろうということ。また縷々述べてきたように、論理的には完全に破綻している心情を「正しい」あるいは「価値がある」と信じることでもあるから、この心情は「宗教に対する信仰」だろう。

 なぜ日本人は後醍醐天皇や浅野長矩が「名君では無い」と言われると怒るのか。それは、怨霊信仰という宗教があるからだ。不幸に死んだ人間の魂を丁重に祀って鎮魂しないと、大きな災厄が国を襲い人も襲う、と古来から日本人は信じてきた。だからこそ後醍醐天皇や浅野長矩の批判など一切してはならず、「名君だった」と持ち上げねばならないのである。何度も述べたように、中国の朱子学の考え方で言えば「南朝は滅びて当然」なのに、である。

 たしかに、天皇の絶対性を強調することで明治維新は成し遂げられ、その結果が大日本帝国という形になったのだから、浅野長矩はともかく後醍醐天皇を批判することはきわめて困難になってしまった。しかし、それでも当時の文部省あるいは歴史学界は、歴史の実態を見るという本来の役割を果たすために、「南北朝対立問題」をあえて教科書に載せていた。「対立」あるいは「並立」という事実を認めることは、後醍醐の言い分すなわち「足利尊氏は極悪人で、北朝の天皇は真っ赤なニセモノだ」を部分的だが否定することになるからだ。

 この社説子は当時の文部省の國史教育の責任者である歴史学者喜田博士(喜田貞吉)に直接面会し、なぜ南朝だけを正統としないのか問い詰めてもいるのだが、それに対する喜田の回答もこの社説に記載されている。喜田は「此主義は原三十六年編纂の現行教科書に始まる、何すれぞ今に及んで事新しく呶々するか」と答えたという。つまり、「八年前の明治三十六年から教科書は南北朝対立問題をこの形で表記している、なぜ当時はなにもせず、いまになって非難するのか?」ということだ。

 この反論は耳が痛かったはずだし、幸徳秋水の発言をきっかけにわれわれは問題視するようになったのだ、とも言えなかったろう。しかし、社説子は完全に開き直って「事の新旧にかかわらず、我らが認識した以上、断じて見逃しはしない」と述べ、当時の小松原文相(小松原英太郎)に「速やかにこの失態を修正し行政上の責任を明らかにせよ」と迫った。その結語が面白いので原文を引用しよう。「斯の如く慎重を要すべき事業には、少くともハイカラ学者の参加を排し、以て将来を戒飭せざるべからず」。「戒飭せざるべからず」とは、「このようなことは二度とあってはならない」ということである。

(第1351回へ続く)

※週刊ポスト2022年8月19・26日号

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