開会式は、各チームの主将のみが行進する異例の形式だった(共同通信社)
主将の大関龍司が振り返る。
「二回戦前に、感染者が出たというのを監督から聞かされました。『最善を尽くすから、しっかり準備しろ』と監督から言われて。自分たちも、やれることちゃんとやろうと思っていました。(辞退を聞いたときには)何も考えられなかった。“仕方ない”と割り切らなきゃならないんだけど、何を考えればいいのかわかりませんでした」
辞退後、柳沢監督は失意の3年生を救済し、高校野球の区切りをつける機会を模索した。行き着いた答えは、不戦敗の相手だった藤岡中央と、開催予定だった高崎市城南野球場で試合を行うこと──。藤岡中央の小磯浩孝監督は、柳沢監督の高校時代の先輩だった。連絡すると、試合を行うことを快諾してくれた。遠く甲子園では三回戦が行われていた8月15日という、くしくも終戦記念日に両校の“幻の一戦”は実施された。
保護者やOB、在校生が集まる中で行われた試合は、3対4でリードされていた9回表に同点に追いつくも、その裏に1点奪われ、西邑楽はサヨナラ負けを喫した。試合後、再び涙に暮れたナインを前に、柳沢監督はこう告げた。
「誰にも怒りをぶつけることができないからこそ、『いまこの瞬間を一生懸命やらないといけない』ということをわたしたちは教わった……」
監督はあふれる涙をユニフォームでぬぐってこう続けた。
「みんな苦しかったよな。つらい出来事だったよな。それでもよくがんばった!」
大関が続ける。
「こうやって試合ができて、感謝しかない。大学でも野球をやりたいと思っています」
(第3回に続く。第1回から読む)
●柳川悠二(ノンフィクションライター)
※女性セブン2022年9月1日号