この中でもっとも平凡なのが、稲垣が演じる主人公・市川茂巳である。彼は知的好奇心が旺盛な性格の持ち主だが、受動的な人間で周囲の人々の言動に流されやすい。さまざまな個性を持った者たちが茂巳の人生に介入してくることによって、彼はいつも翻弄される。
正直すぎる男がそれでも幸せを希求する、新しい恋愛映画。(c)2022「窓辺にて」製作委員会
凡庸で何かをあきらめている飄々とした主人公の物語という点など、作家・村上春樹の作品に似た感触が本作にはある。特異な現状を基本的にただ受け入れるところなど、まさにそうだ。とはいえ、村上作品の主人公たちのような物事を達観する姿勢は、茂巳にはない。
茂巳の性格を“流されやすい”と記したが、これは多くの場合、ネガティブな印象を持たれるものだと思う。だが、茂巳に関してはそうではない。彼はあまり自己主張をしないだけでなく、他者を否定しない人間である。目の前の相手の考えにただ耳を傾け、相槌を打つ。そういう意味では“流されやすい”ではなく、異なる立場や考えを持った人々のことを誰よりも受容できる人間なのだという方が正しそうだ。
実際、彼と交流を持つことによって誰かが救われている様子が、劇中ではたびたび描かれる。茂巳自身が抱える問題は解決こそしないが、こうして人々と交流するうちに、彼にもやがて一つの大きな変化が訪れることになるのである。
スクリーンに映し出される稲垣の姿は、まさに「演じてないんじゃないかな」と思えるほどに自然なもの。誰に対してもフラットな受け手に徹することのできる、稲垣あってこその作品だ。
さて、この茂巳を中心とした群像劇を観ていると、いくつかの主題が見えてくる。一つはやはり“愛”に関するものだが、ここでは“他者との繋がり”というものに言及して結びとしたい。
本作に登場する者たちは誰もが悩んでいる。この映画においてその悩みとは、“他者との繋がり”におけるものだ。誰かと関係を築きたい、繋がっていたいと個々が願うからこそ、そこではすれ違いなどにより、それぞれの内に悩みが生じる。傷ついたり、悲しんだりすることだってあるだろう。けれどもこの映画に登場する者たちは、誰もが活き活きとし、輝いて見える。
他者との繋がりによって、傷ついたり悲しんだりすることで得られる人生の豊かさを、“市川茂巳=稲垣吾郎”というキャラクターを通して私たちは知るのだ。
文・折田侑駿
『窓辺にて』絶賛公開中。(c)2022「窓辺にて」製作委員会