その極めつきが、2023年に市制80年目を迎える愛知県豊川市PR活動だ。同市から「豊かな山、豊かな川、豊かな豊川をイメージしたく、ぜひ『豊川豊』に改名していただけませんでしょうか」と、ダジャレ絡みのオファーを受けると、山川は「デビュー41年目。僕自身もこの辺でアピールしないといけない。やる以上は中途半端ではやりたくなかった。豊川市のPRが全国に広がっていけばいいな」と快諾。
10月から同市の公式YouYubeチャンネルで公開されたPR動画には、豊川市が出荷量日本一を誇る名産・バラをイメージしたピンクのリーゼントかつらをかぶり、金ピカのジャケットを羽織ったド派手な恰好で出演した。
「もともと、セーラー服姿で森昌子さんの『せんせい』をカバーしたりと、ノリの良い方です。独立して身軽になられたことも一因かもしれませんね」(前出・興行関係者)
仕事は順調に見えるだけに、裏でひっそりと熟年離婚していたことは、気がかりだ。独立後は、長男がマネジャーとなっているという。
「離婚の理由は、いわゆる不倫や金銭問題ではありません。夫婦で今後について話し合った末の円満離婚で、家族仲については今も良好だと聞いていますよ。豪邸を奥様に渡したのも、山川さんの決断。もともと東芝EMI(現ユニバーサルミュージック)の社員契約から歌手デビューを勝ち取り、売れない頃にはプロボクサーのライセンスを取ったりと、苦労人であり努力の人。“お金より大事なものがある”というスタンスだから財産分与も太っ腹でした。
大物演歌歌手なのに偉ぶらず、人格者。業界には彼を支援する人も少なくありません」(前出・芸能関係者)
離婚や財産分与について山川の事務所に聞いたところ、「山川豊と元配偶者は、本年8月までにご質問をいただいている財産分与のことも含め円満な形で離婚に至り、現在も行き来をしているなど今も双方がお互いを認め合う関係を続けています」と回答した。
独立、離婚で環境を新たにしたベテランの再ブレイクは、そう遠くないかもしれない。