柴田と久本は一緒に選挙カー上に立ったこともある
「みんなの願いをかなえます!」
「芸術部女性部長」という要職にある久本は、あまりの出没率の高さから“久本さんは5人いる説”が流れたほどで、選挙応援でも圧倒的存在感を放っていた。
たとえ2007年の参院選。定数5議席に対し20人が出馬し、全国屈指の激戦となった東京選挙区には、山口那津男現公明党代表が立候補していた。最後の訴えに選んだのは初当選した選挙のときと同じJR池袋駅東口だ。ここで切り札のように登壇した久本は、駅前の聴衆を前に「美辞麗句より、政策と実績で選んでほしい」と絶叫した。
また、同じ参院選で比例代表候補だった山本香苗氏(現職)の応援のために大阪入りした際は、地元での応援とあっていつも以上にフルパワー。
「東京から歯切りだして帰ってきました! 私は公明党が大好きなんです! 特にこの山本香苗ちゃん。みんなの願いをかなえます! お母さんがた。優しいし、頭いいし、綺麗だしね。ほんま言うことないんです。ま、私よりちょっと劣りますけども(笑い)」
2009年の衆院選で、神奈川県内で唯一の公明党公認候補となった上田勇氏(現職)。議席死守のため、選挙戦最終日に駆けつけた久本は、必死の形相で「実績、実力はナンバーワン!」と盛大に持ち上げていた。当時の公明党代表の太田昭宏氏(元職)の元へも訪れ、選挙カーの上で柴田と並んで口角泡を飛ばしていた。
「当時の久本さんの肩書は“芸術部副部長”。2009年の衆院選で小泉チルドレンがことごとく落選し、公明党も太田代表が落選し政権交代。公明党は比例区でも前回より100万票近く減らし、10議席も失った。久本さんの神通力もここまでか、とささやかれていました」(政治部記者)
芸能界での知名度に差はあれど、応援演説では久本と遜色のない盛り上がりを見せるのが、久本の実妹の女優・久本朋子(58才)だ。2004年の参院選では、西田実仁氏(現職)の応援のために埼玉入りしてこう笑いを誘った。
「埼玉には北も南も東もない。あるのは『西田』」
久本と同じく、芸術部女性部長の岸本の応援歴は1990年代に遡る。1992年の参院選では、「子供の頃、いまは亡き母が障害者だったこともあって貧しかった」と5分間、自分の過去を赤裸々に語り続けた。1990年の衆院選では、神奈川県横浜市のスーパーで、雨が降りしきる中、500人以上の聴衆の前でスピーチ。
「私事で申し訳ありませんが、1月3日に母を亡くしました。そのときの葬式代にも3%の消費税がかかったんです。自民党は見直し論を唱えているが、私はこのような税制は絶対に許せない。廃止しかありません」
当時は自公連立のはるか以前。聴衆の心に訴えかけ、対立政党への批判的な意見を主張し、候補者への支援を呼びかけた。ちなみにこの衆院選で公明党公認候補として千葉の選挙区から立候補した吉浦忠治氏(元職、2000年没)と森田景一氏(元職、2001年没)は、朝日新聞の「好きな芸能人は?」というアンケートに揃って岸本の名を挙げた。
応援弁士として壇上に上がるのみならず、岸本は1995年の参院選で、魚住裕一郎氏(元職)について産経新聞の取材にも答えていた。
《名前の通り魚の住める、自然と人がともに生きられる住みやすい東京へ、人間味あふれる政治へと改革を進めてください。》