『SLAM DUNK』主題歌を歌っていたBAAD時代は、山田さんにとっても青春だった(1995年撮影)
『君が好きだと叫びたい』を1993年12月にリリースし、僕は1995年か1996年には「BAAD」を脱退しました。他のメンバーと決して仲が悪かったわけではないですけれど、結局、僕の歌の技術面や、メンバーや周りのスタッフを巻き込むほどのパワーが足りなかった、ということだと思っています。事務所から「無理して一緒にやっているより、脱退したほうがいいんじゃないか」と提案され、「そうですね」ということになったんです。その方が僕にとっても、他のメンバーやスタッフにとっても楽になり、良かったと思っています。
脱退後はソロとして活動したくて曲作りをしていたのですが、思うようにいかないまま1年ほどで契約が切れ、自然消滅したかたちですね。「BAAD」の他のメンバーとは、脱退後はほとんど連絡をとっていません。
「BAAD」脱退後は音楽から身を引いて
「BAAD」を脱退した頃に結婚し、子どもができたので、食べていくために音楽からは身を引こうと決めました。妻は高校の同級生。高校時代から付き合っていたわけではありません。「BAAD」で活動していたとき、仲間うちでバスケットボールチームを作って遊んでいて、そのメンバーのなかに彼女がいたんです。
彼女は高校時代、バスケ部だったのですが、僕はバスケ部ではなかったですね。でも、バスケは小学生のときから大好きでした。中学のとき、入学直後に友達と仮入部しに行ったのですが、初日でギブアップ。いや~あの“空気イス”はつらかった(笑)。その後はテニス部、卓球部と席を置くだけの3年間でした。高校はバンド活動一色。でも、運動は得意でしたよ。
子どもは2人います。長男は26歳で普通のサラリーマン。次男は19歳で大学生です。2人とも音楽はやっていませんが、趣味で歌うのは好きみたいですね。
長男は声や歌い方も僕によく似ていて、家族でカラオケに行くと、長男が『君が好きだと叫びたい』を入れ、一番を自分で歌い、二番は僕にマイクを寄越したりするので歌うのですが、携帯で録音して後で聞くと、どっちがどっちか、僕が聞いてもわからないぐらいです。